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独り占めする愛


愛の中で生きるためのアファメーション
・私は愛に満ちた目で、自分自身と自分の人生を見つめます。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
君だけを見ていたい
君だけを愛していたい
僕を虜にした君の瞳は誰のものか
僕を虜にした君の笑顔は誰のものか
ジェラシーで身を漕がず程君を愛していたい
羨望で身をよじる程君を愛していたい
君の喜びを僕の喜びにしたい
君の楽しさを僕の楽しさにしたい
幾千幾万の愛を連ねたら君に届くのか
幾日幾年の愛を重ねたら君に届くのか
僕の愛はただ一人君にだけ捧ぐ
僕の愛は誰にも比類しない愛だ
君の愛は誰のものか
君の喜びは誰のものか
君の楽しさは誰のものか
世界を敵に回してもただ君の愛だけが欲しい
世界が敵に回ってもただ君の愛だけが欲しい
$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$

好きになると独り占めしたくなる独占欲というものは高じて来ます。
不可能と判っていても自分だけをみて欲しいと望むのです。
独占欲の解除キーは"愛に満ちた目"です。
独占欲は自我が持つ視点ですが、愛に満ちた視点は真逆に位置する視点だからです。
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2013/01/30 (Wed) 07:02 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛に化けるもの


『愛の光が世界を照らし、愛のエネルギーで人の未来を輝きにする。』


愛を望むあなたは必ず愛で躓(ツマヅ)きます。
躓きながら愛を学ぶ為です。躓かないと愛が解らない訳ではありません。
躓かないとあなたの中の"愛に対する誤解"が解けないからなのです。

あなたは"愛は万能薬"と思っていませんか?
どんな時もどんな場所でもどんな人にもどんな状態でも、人を癒し救うと思っていませんか?
愛は万能薬ではなく、万人に効く薬です。但し、愛を受け入れればの話です。

愛を受け入れて貰えない蹉跌を得てあなたは"愛は万能薬ではない"事を理解します。

しかし同時に自分の愛が愛には及ばない事を知ります。自分の愛が愛に似た何かであることを痛感するのです。

愛について理解すればするほど"何か"が愛に化けている事が解ります。
愛について語る時、愛を与えている時、愛に感動している時、愛に想いを注いでいる時自分のエゴに気づくのです。
"私"という存在が愛が純粋であることを妨げ、愛を包み愛になった積もりでいることを誰知らず、自分だけが気づくのです。

愛に躓きながら愛を深く理解し、自分の愛がエゴのオブラートに包まれていることを自覚していきます。
躓きは愛を磨く為の体験なのです。
躓けば躓くほど自分の愛は磨かれて行き、輝く愛になるでしょう。
2013/01/29 (Tue) 12:32 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛がっ!


『愛の光が癒しであり、癒されているとき愛とひとつになる。』


不愉快な想いをしたり、想うような行動に出れない制限を受けたり、硬直してしまうような出来事に直面すると意識がそこに留まり思考がぐるぐる回り出すことがあります。
意識が膠着して思考が限定されてしまうのです。所謂、"後悔した状態"になります。考えないようにしようとしても、似たような思考に取り憑かれ"後悔の状態"から抜け出れなくなるのです。

あなたの意識の海にはこんな渦潮に似た"後悔した状態"が沢山あるのです。
あまり渦潮を放って置くと寄り集まって巨大になり、解消出来なくなってしまいます。心の中が荒れて落ち着く事が出来なくなります。いつも苛々と不機嫌になってしまいます。

"後悔した状態"の渦潮は出来たら直ぐに解消しないと心の平静は保てなくなるのです。
解消には出来た原因の解消が一番です。
物理的な出来事は無かった事には出来ませんが、心の癖で創られた渦潮は解消することが出来ます。

解消するには"愛がっ!"一番です。
心に受けた衝撃は木の幹に付けられた弾痕のようなものです。
その衝撃を埋め癒すには同様な愛のインパクトが必要なのです。
"愛がっ!"は一気に心の傷を癒す方法なのです。

渦潮を解消するには逆転の干渉が必要ですがゆっくり干渉すると解消に時間が掛かり過ぎます。癒しだけで衝撃を解消するのは時間と根気がいるのです。

渦潮を解消するには渦潮のエネルギーに負けないインパクトのエネルギーを与えて解消すると一気に解消出来るのです。

"後悔した状態"の渦潮は"愛がっ!"が解消するのです。
2013/01/20 (Sun) 09:19 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛は愛でなく


『愛が愛であるために人が居て、愛は人の為にある。』


愛は本当の愛ではありません。
それでいて、愛は愛以外の何物でもないのです。

人が人を愛するとき心の中に葛藤が生まれます。
愛する事の満足と愛されない不満です。
愛するとき愛を与える喜びが心を満たします。
同時に愛されたい欲求は与えた愛以上の愛を求めるのです。

愛されたい欲求を悪いこととして否定するのは簡単ですが、消し去る事は不可能です。

シャベルで穴を掘った時に掘った穴の分の土が出てしまうのと同じ事だからです。土を無視すると土に躓いたり、掘った穴の中に土を戻してしまうのと変わりません。
掘った穴の回りの土と掘り出した土が同じように、愛は愛に変わりません。だから穴を見ると掘り出した土を穴の中に戻したい欲求ができるのです。
自分の掘った土は他の人にあげてしまうから、他の人からの土で埋めたいという事です。

愛する分愛されたいのはそういう理由があるのです。何故、相反する欲求が生まれるのでしょうか?

土に相当するものが"自我のエネルギーで出来た愛"だからです。
自我のエネルギーが減るので他の人からの愛のエネルギーを欲しがるという事なのです。

愛は愛であっても本当の愛ではないのです。
本当の愛は言わば宇宙から無限に降り注ぐエネルギーのようなもので、自我のエネルギーとは全く違うのです。だから愛を与えても、宇宙から無限にエネルギーが降り注ぎ、尽きる事がないのです。
2013/01/19 (Sat) 18:03 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛と愛着


『愛を心に抱き、愛を実行し、愛を確認して下さい。』


愛着は愛ではありません。
仏教でも"愛着"を持つべきでない煩悩としています。
愛に似ているから"愛着"と言いますが、執着です。

今風に言えば"依存"が近いでしょう。
何故"依存"が起きるかと言えば、"何かに依存しなければいられない心の状態"にあるからです。

要因は二つあります。
一つは"依存しなければ自分は生きていけない"という思い込みです。
もう一つは"人間は孤独が基本である"というある種の覚悟が無いことです。

依存があると執着が起き、執着によって苦痛が生まれます。だから仏教では"愛着"を煩悩としているのです。

愛を仏教では否定していません。愛に似た"愛着"を否定しているだけです。
煩悩を消すには八正道を行うのが早道です。

八正道をすることはまさに心を"何かに依存しなければいられない心の状態"から正す方法なのです。
2013/01/15 (Tue) 12:24 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛の力


愛の中で生きるためのアファメーション
・私は、積極的に他人を助ける機会を探し、思いやりを示し、あらゆる点で役に立てる機会を探します。


ボランティアの動機はどうあれ、結果は愛の力を示す事になります。
自己満足でボランティアをしても愛の力を示す事になります。
全くの奉仕の気持ちでボランティアをしても愛の力を示す事になります。

愛の力を示すには"動機"でなく行動が大切という事なのです。

"誰かの扶けになること"が愛の力という訳です。

扶けを得た人が感謝するかどうかは愛の力を示した人の"動機"次第です。
動機不純なボランティアでは行為に現れます。行為に優しさが不足するのです。傲慢さや慢心さや軽蔑が透けて見えてしまうのです。だから、感謝されません。
結局は自分の為にしているではないかと解ってしまうのです。
ボランティアをして誰かの扶けになるのは飾りで、自分の満足のためになるからする行為は"愛の力"を示せないという訳です。

巧妙に本心を隠せば良いのではありません。深く隠せば隠すほど心の奥深くに錯誤を自分で刻むのです。ボランティアは本心を隠す為にする行為と自分に教えて、ボランティア本来の"無償行為"と掛け離れてしまいます。感謝をえられる道理がありません。

感謝を得られない"誰かの扶けになること"は愛の力ではないという訳です。
感謝される"誰かの扶けになること"が愛の力という訳です。
2013/01/12 (Sat) 22:07 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛の中の生活


愛の中で生きるためのアファメーション
・私は、自分の目に入るものすべてに愛を送ります。一日に何度も心から愛を思い、愛を感じ、愛という言葉を言います。


愛を感じる一番の方法は愛を振り撒き続けることです。
不特定多数の見知らぬ他人に愛を与える事など出来ないというのは本当です。だから、ほんのちょっとの愛を振り撒くのです。
親近感を抱かせるスキンシップや僅かな笑みでも十分です。
愛の名前を使うのもおこがましい行為かも知れませんが、常に"愛に触れた行為"をする事が大切なのです。
ぎこちなさを克服して自然な態度として身につき、回りから好意的に見てもらえるようになるのが大事なのです。

"愛に触れた行為"に逆上し、憎悪を持って接しられる人がいなくなれば、あなたは愛の中で生活し、生きていると言えるでしょう。

"愛に触れた言葉"を口癖に生活することが出来れば更に望ましいでしょう。『愛しています』と言うのに恥ずかしさが先だって口に出来ないでいるなら、"好き""善かった"という言葉で代用するのもありです。
身の回りで起きる出来事をなんであれ、感謝を持って受け入れる事です。その中で愛を感じる事に"愛に触れた言葉"を使う訳です。
自分の出す雰囲気が愛に満ちた状態になれば、向かうところ敵なしでしょう。
あなたがあなたの出す"愛に触れた行為"や"愛に触れた言葉"によってより深く愛に落ち込んで行きます。あなたはますます愛に満ちた人になるのです。
2013/01/10 (Thu) 12:38 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

永遠に愛


愛の中で生きるためのアファメーション
・私は、判断、非難、対立を手放し、平和を選択します。


平和運動でいけない事は"戦争反対!""貧困撲滅!"を掲げる事だと今では常識です。
人が意識を向けたものが実現化するという事が事実として認識されているからです。

"戦争反対!"では戦争に意識が向くので戦争を実現化する力が働き、"貧困撲滅!"では貧困に意識が向くので貧困を実現化する力が働くという事です。反対!撲滅!という否定は意味を成さないという事です。

平和とは戦争と戦争の間のつかの間のことである

という箴言がありますが、平和とはどのようなことでしょうか。
平和とは『誤った判断、場違いな非難、無意味な対立が無い日常』のことです。愛と笑いに満ちた日常のことです。

誤った判断が対立を呼び、際立った対立が不要な非難を呼び、過剰な非難が更に誤った判断をさせる事で悪循環に陥るのです。
悪循環の中で戦争が起き、戦争が生産性を下げ、低い生産性が貧困を呼び込み、心を荒廃させるのです。

地球上で戦争と貧困が絶えないのには理由があるのです。

平和を求める豊かな心が無いからです。
戦争と貧困を忌み嫌う正直な目が無いからです。

永遠の愛の中に平和があり、安穏と平穏と安心と平常心が息づく世界が生まれるのです。
2013/01/08 (Tue) 17:04 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛と誠


愛の中で生きるためのアファメーション
・私は、自分と他人に対して、愛のある態度を選択します。


誠を持つ事は必要です。
誠意が無いと相手には通じないからです。
誠意とは"事に当たる時の意志の強さ"です。"意志の量"とも言えます。
どれだけ"事"に意識を振り向けているかが誠意のあるなしを決めているのです。
誠意のある態度は相手に通じます。謝罪を誠意を持ってしないと不信感を持たれるだけになるのです。
誠意を通じさせるには"愛"が基本に必要です。
誠意の根底には"愛"があるのです。

"誠意の基幹たる愛"とは"敬意"です。存在として有り難いという想いです。"敬意"を持つには相手を無視したり見下していては出来ません。相手を対等かそれ以上の価値ある存在として認める事から生まれます。自分の持つ価値とは異なる自分の価値以上の価値を認める事です。
渋々でなく積極的な意志を持って認める事が"敬意"というものなのです。

"誠意"を生真面目と取るのは間違いです。
生真面目は"敬意"の一部分であって全てで無いからです。何も生真面目でないと"敬意"が無いという訳では無いのです。

誠には愛とに深い関係があり、愛が無ければ誠がなく、愛のない誠はうわべのものなのです。
2013/01/06 (Sun) 14:47 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛する理由


愛の中で生きるためのアファメーション
・私は愛に満ちた目で、自分自身と自分の人生を見つめます。


人は何故愛するのか疑問に思った事はありませんか。
人を好きになるのに理由なんてないと思うのは勝手ですが、好きになる理由は必ずあります。
ただ、誰もがその理由を追求仕切れないだけなのです。通り一遍な理由が見つかるとそれにしがみつき、深堀して本当の理由を探れなくなってしまうからです。
何故探れなるのかと言うと"自我"が邪魔をするからです。
無意識に本当の理由から目を逸らしているのです。"自我"にとって本当の理由に辿り着いて納得して、思い込みを外されると困るからです。思い込み(観念)を外すと言う事は自我を小さくしてしまう事だからです。

好きになる理由は"優しいから""イケメンだから""いつも見守ってくれるから""信頼できる誠実さがあるから"など色々ありますが本質は『自分を特別扱いしてくれると思えるから』なのです。本質を外して好きになることはありません。
誰かを尊敬したり崇拝したりするのは好きになる事ではなく、憧れる事の範疇に入ります。イエス様が好きというのは"イエス様のようになりたい"という事です。

好きになるという発想そのものが"自我"のものです。詰まり"愛すること""好きになること"は別物という事です。

"好きになること"は自分を中心にした感情、本質は『自分を特別扱いしてくれると思えるから』起きるものです。


愛することの理由は"大好きだから""自分を好きと言ってくれるから""責任をとらないといけないから""奉仕するのが愛だと思うから"と様々ありますが、本質は好きになった『相手を特別扱いしたいと思うから』なのです。
本質を外して愛することはありえません。
不特定の相手を愛することは基本的に人間には不可能です。沢山の相手を愛したいなら、意識を人間以上にするより他はありえません。
"愛すること"は相手を中心にした感情、本質は『相手を特別扱いしたいと思うから』起きるものです。

それ故に、
愛する理由は好きになった『相手を特別扱いしたいと思うから』なのです。
2013/01/04 (Fri) 15:52 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛を愛したい


愛の中で生きるためのアファメーション
『私は、愛の意識を持って生活します。』


愛を嫌う者はいない。
愛を知らない者はいない。
でも、愛を愛した者はいない。

愛を知らないと好きになれません。
愛を認めないと好きになれません。

愛を曖昧なままにして愛することは出来ません。

人の数だけ愛があるから人の数だけ色んな愛があります。

他人の愛を確認する前に自分の愛を見詰めて下さい。ひとの愛を批判するよりも自分の愛を感じて下さい

優しさ
いたわり
親切心
信頼性
寛容
そして、温もり

あなたの想いに愛はありますか。

愛を感じて感じ尽くす。
自分の想いを感じて感じ尽くす。

愛に否定は無く
愛に境はありません。

あなたは愛を愛していますか?
2013/01/02 (Wed) 07:36 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

プロフィール

きゅうとす

Author:きゅうとす
KIN214
白い律動の魔法使い White Rhythmic Wizard
ドリームスペル「青い共振の嵐」の年 律動の月16日(月)

2007・7より観念浄化を始めました。
生来のマイペースで遅々として進みませんが
自分なりに浄化をしています(笑)
きっとこの先には心軽く楽しい人生があると信じて
います。

2011年TUTAYAコミュが閉鎖されるのに伴いこちらのブログに移行します。
愛、恋愛などをテーマに観念浄化ワークと絡めブログアップします。

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