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限りある愛


『愛の光が今を照らし、愛のエネルギーが人の活力になる。』


あなたの愛には限りがあります。
だから、無限の愛に憧れるのです。

あなたが好きな相手を愛してると言っても好きな相手の事だけ考えている訳ではありません。お腹が空けば食べ物の事を考えますし、寒さを感じれば厚着をしようとか考えます。合間合間に好きな相手のことを想っています。
あなたが好きな相手を愛してると言っても好きな相手の願いを全て叶えられる訳ではありません。好きな相手は自力で願いを叶えようと努力しているのかも知れませんし、あなたからのプレゼントにも限界があります。
あなたが好きな相手を愛してると言ってもあなた以上にあなたの好きな相手を愛してる人がいるかも知れません。あなたが好きな相手はあなたでなく、別の人を愛してると判ればあなたの愛は冷めてしまうでしょう。

あなたの愛には限りがあるのです。
あなただけでなく誰でも全てがそうなのです。

"わたしの愛は無限です"という人は嘘をついているが、幻覚の中にいる人です。
"わたしは誰でも愛しています"という人は認識不足か幻想に酔っています。

"わたしは悟った。心の中が清々しい、何のこだわりも感じない"という人でも愛の限界を持っています。ただ、普通の人より許容の大きな愛や普通の人より膨大な愛を持っているだけです。

愛には限界が無いというのは誤りです。
愛の表現には限界はありません。人の数だけ違いがあります。

あなたの愛には限りがあって当然なのです。自分の愛が足りないとか自分の愛が間違ってると思う必要は無いのです。
限界の無い愛を感じたとしたらそれはあなたの認識では限界を知ることができないだけの事なのです。
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2012/10/30 (Tue) 12:11 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

魂の愛


『愛の光が今を照らし、愛のエネルギーが人の活力になる。』

好きという気持ちは何処まで行っても好きでしかないのです。

好きには理由があります。自分を大切にしてくれるから好き。
自分だけに優しくしてくれるから好き。
自分に貢いでくれるから好き。
自分を優しく包んでくれるから大好き。
自分を見詰めるひたむきな目が好き。

自分が、自分に、自分の・・・と自分中心な考えなのは自我の働きのせいです。好きという気持ちは自我のものなのです。大好きと言っているのは自我です。無我夢中で好きと思っているのは自我です。

"愛してる"と自我が言うとき"愛してる~が好き"という意味です。愛してるは単なる修飾なのです。
否定する人もいますが"愛してる"の意味を浅慮しています。

真の愛は魂の深奥から湧き出る主体の無い喜びです。相手の存在を認める魂の共鳴が愛です。
相手を受け入れる魂の赦しが愛です。
2012/10/27 (Sat) 15:21 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

激しく愛!


『愛の光が今を照らし、愛のエネルギーが人の活力になる。』


貪るような性愛はいけませんか。
他を何も見えない性愛は許されませんか。

アクセラレートされた時間感覚の中で無我夢中で忘我のエクスタシーを味わう経験はそう何度も出来ません。
可能にするのが性愛のエネルギーなのです。

"はしたない"という言葉は何処で覚えましたか。
"汚らわしい"という言葉は何処で知りましたか。
"恥を知れ!"とは誰に対しての言葉でしょうか。

人には品格が必要だという思い込みはBMWという高級車がガソリンで走っていることを忘れて無給を車に強いているのと同じです。
人には生きて行く強い動機が必要ですから他人に必要とされる事を無上の喜びとします。
他人からの称賛を無意識に求めた行動を生き甲斐とします。

ボランティアという奉仕活動は社会性もあり"善いこと"という観念を具現化した判りやすい行動です。実際の褒め言葉が無くても幻想の称賛を感じています。
教師や牧師などの聖職という職業は生活の糧を得られて"高潔"という観念を具体化した判りやすい仕事です。実際の批判を受けなくても監視者たる良心という観念が見張っています。

実際の教師など保身に走る公務員でしかありません。実際の牧師など聖書を読み上げるだけの弁士でしかありません。
聖職者は言葉だけの幻想なのです。人には務まる筈もないのです。
教師と言えど、牧師と言えど生きています。生きるとは性愛に生きる事なのです。

聖職者は木の股から生まれません。
聖職者はキャベツ畑から生まれません。
人の女性から生まれて育てられるのです。
木の股で性愛を享受したかも知れません。
キャベツ畑で性愛を高らかに唄ったかも知れません。
人間は人生の中で悲惨苦嘆を嘗めて自分を知るのです。そして聖職者になろうと足掻くのです。

"はしたない"
"汚らわしい"
"恥を知れ!"
自分に向けた言葉を他人に投げ掛けることで聖職者になろうとしています。
性愛を否定することで品格のある人物という評価が欲しいのです。

性愛を認め、受け入れ、許す事が人間らしく生きる道なのです。
激しく愛を生きる道なのです。
2012/10/25 (Thu) 12:34 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛を理解する事の意味


『今、愛の光が心を照らし、愛のエネルギーが人の活力になる。』


道徳の授業は詰まりませんでした。
日常的に言われていた事の繰り返しのフレーズばかりで飽きていたからです。
教科書のお話は勧善懲悪で、正直者が結果的に得をして、悪者は懲らしめられるものしかありません。
でも、現実世界は道徳の授業で言っている事の真逆の世界で、ずる賢い者が成功者に見えました。
先生に言ってもその理由を教えてもくれませんし、ただオウムのように正直が一番としか言いませんでした。

この世の真実はスピリチュアルな説明無くては理解出来ません。
"愛"が大切なことと同じ事です。

あなたはこの世で小賢しい者が成功し、正直者が虐げられて見える事を説明出来ますか?
あなたは愛の大切さを解っていてもその理由を小さな子供に聞かれてもちゃんと説明出来ますか?

物質的豊かさが必ずしも心の豊かさに結び付かず、むしろ欲望を増長挿せるだけなのは自明の理です。
では心の豊かさを求める事が幸せになる道なのでしょうか。どれくらい幸せに包まれれば良いのでしょうか。ボロは着てても心は錦とは言いますが、生活に困窮している事を笑って過ごすのは難しいものがあります。
だから、物質的豊かさと心の豊かさのバランスが必要なのです。どちらか一方が過剰であれば良いわけでは無いのです。

この世は二極のエネルギーのバランスの世界です。物質的豊かさを享受する者が精神的貧しさを持つバランスがあり、成功者がやがて没落するバランスがあり、与える者が与えられる者になるバランスがある訳です。

このバランスを保つには世界を創造する理に基づく事です。
正直であるという事は自分の心に素直という事です。欲望に素直という事では無くて心の根幹、愛に素直になるという事なのです。
愛と言っても欲望が化粧して見せてる偽りの人間的愛ではありません。世界の全てを産みだし、リサイクルする豊饒で限りない暖かくたゆとうエネルギーの事です。心の奥にある愛としか呼べないエネルギーの事です。

真に愛を理解することは世界創造の理を理解することです。
単純な言葉は愛の一部分しか説明しませんが理解の端緒となります。誤解の元にもなります。詰まらない道徳の言葉となります。
2012/10/23 (Tue) 08:03 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

求めているのは愛?それとも


『今、愛の光が照らし、愛のエネルギーを人の活力にする。』

普段無口なのにお酒が入ると饒舌になる人がいます。余り話をしないのに、話し掛けるとやたらと自分の事を聞かれもしないのに話して来る人がいます。

彼等は何を欲しているのでしょうか。望んでいることは何でしょうか。
話し相手でしょうか。
賛美者でしょうか。
称賛者でしょうか。
それとも愛する相手でしょうか。

彼等の望む相手は承認者です。

自分の価値を認めて貰いたがっていると言って良いでしょう。そのために普段とは違う姿を晒すのです。

誰もが自分を知って貰いたい願望を持っています。普段から自分を出せる人は特に意識もせずにいられますが、その姿は我が強いと見られ易いものです。
誰もが自分を押し殺して仮面を被って生きています。普段から仮面を意識している人は特にストレスを意識していて、その姿は痛々しく見られ易いものです。

自分を知られたく無いと思っている人は自分を押し殺して生きています。知られたく無い人がいる半面知って欲しい人がいます。特定の人にだけ知って欲しい気持ちは愛して欲しい気持ちと同じ事なのです。

知られるとはどのくらい知られる事でしょうか。
顔つきや仕草や口調や髪型など外見的要素だけでしょうか。
不満や希望や望みや欲しいものなど気持ちなどの入口的要素だけでしょうか。
愛し愛され癒される心からの信頼関係を持てる深くまででしょうか。
その知られたい深さのレベルで承認の度合いが変わります。意識交換の度合いが変わります。満足感の度合いが変わります。

あなたはどんな人にどれくらい何を求めていますか。
2012/10/20 (Sat) 10:19 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

溢れて愛して!


『愛の光が今を照らし、愛のエネルギーが人の活力になる。』


『愛は何処か遠くにあるものではありません。

言わば私達が扉(ゲート)です。絶望してファントムになったりしませんが、心の扉の向こうに愛があります。。

私達の心の内に愛が溢れています。自我が堅く閉ざしている扉を開けさえすれば良いのです。』


人は好きになると好きになった相手の事ばかり考えます。相手がどんな人なのか、どんな性格なのか、どんな好みなのか、どんな人と友達なのか、どんな学校生活を過ごして来たのか・・・とめどもありませんが、逢うとすっかり満足して聞きたいことなんて忘れてしまいます。
頭で考えていることを傍にいて心が触れ合うことが凌駕するからです。溢れての放射の温もりにまどろむようなものです。とても抵抗出来ません。
相手も自分の事をにくからず思ってくれているとわかれば心が急いてしまいます。あらぬ妄想が始まります。地に足が着かない心持ちになります。
そして、自分が相手を愛していると勘違いするのです。

好き⇒大好き⇒超好き= ⇒愛している

と好きから愛へ跳躍してしまっていることに気づいていません。
疑問が沸いて来ても愛している理由を数え上げ、自分を納得させてしまいます。
自我は自分中心に考えを巡らせます。相手を気に入ってしまうと自分の所有・支配下に置こうと考えます。
自分のものにするために相手の気に入る状態を作り出します。"愛している"という言葉で自身を丸め込み相手に同調を求めるのです。好きだから愛しているという飛躍に目をつむり、好きな理由を愛している理由にすり替えて恋愛ゲームを始めてしまうのです。
自我の恋愛ゲームは如何に相手に"愛している"と言わせて支配出来るかを競います。
自我の恋愛ゲームは如何に自分の欲望を相手に叶えられるかを競います。

愛を確認し合えれば結婚します。愛が無くなれば離婚します。
誰が結婚しようと離婚しようと勝手ですが、愛が生まれたり無くなったりするのでしょうか。確認したものが愛ではなかったなら有ったり無かったりも頷けます。愛と勘違いしていたものは自我の所有欲や支配欲です。欲望だから出たり消えたりします。
最初から自我に振り回されて人を好きになるから誰も同じような結末を迎えてしまうのです。

一緒にいて心が和らぐ、落ち着く時、妄想に走らない事です。
生活を地道に正当に真摯に行い、好きな相手といる時を楽しむ事です。
自分の心に向き合いながら相手に向かう関心を常に自分の心に引き戻す事です。
相手の言葉、行為に反応する自分の思考や気持ちを認める事です。したい、させたいという欲望を無視する事です。

好きな相手といるとき思考や自我から離れ、その場その時にリラックス出来れば、好きな相手も同じになります。
その時二人の心の扉が開きます。
そして、互いの愛が溢れ、真に愛しているとはどういうことか感得出来るでしょう。
2012/10/17 (Wed) 07:21 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛の信奉者


『光の愛があなたの道を照らし、愛の光があなたの歩みの活力になる。』

愛を信じると言う人は本当の愛を信じているか怪しいものです。
自分に都合の良い愛を信じて他を否定しているかもしれません。

あなたは嫌いな物や人はいますか。あなたが嫌うその物や人に愛を感じた事はありますか。

セロリは香りの強い野菜なので好みが別れます。香りが好きで良く食べる人と食わず嫌いの人がいます。でも農家の人はセロリを喜んで食べて貰いたくて精根込めて、愛情たっぷりに生産・出荷するのです。嫌い、拒否して食べないという事はそんな農家の人の愛情を否定しているのと同じです。毎日浴びるように食べろという事ではなくて、受け入れる心で有り難く頂く事ができれば愛を受け入れる事と同じです。

嫌いな人はあなたの機嫌を損ねて嫌われたのでしょうか。あなたが受け入れ難い要求を突き付けて来たのでしょうか。あなたという人格を踏みにじる事をしたのでしょうか。
嫌いな人がいるお陰であなたは気づいた事はありませんか。嫌いな人が行う事と同じことをすると嫌われると納得しませんでしたか。嫌われる人がいるお陰で自分のちょっとしたミスも許して貰えたりしていませんか。嫌いな人の余計なお節介な一言で大事な仕事のミスを防げていませんか。改めて大事な事と認識を新たにしませんでしたか。
嫌いな人に愛情を感じた事は無くても結果としてあなたが変われたのは嫌いな人のお陰ではありませんか。反面教師として嫌いな人を見た時あなたは有り難いと思う必要があります。有り難さを受け入れる心で改めて確認した時愛に気づくでしょう。たとえ嫌いな人にそんな意志が無くてもです。

全ての出来事、全ての人を受け入れれば全ての出来事、全ての人を愛したのと同じことです。
愛の形にこだわることなく、自分の都合で取捨選択した愛でなく、愛として受け入れる事が真の意味で愛を信頼することでは無いでしょうか。

受け入れる愛を掲げ奉るなら真の愛の信奉者となるのです。
2012/10/15 (Mon) 12:55 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛の不在


『愛の光が今を照らし、愛のエネルギーが人の活力になる。』


あなたとわたしは永遠に交わらない平行線。
声の届かない断崖絶壁に立ち会う孤立者。

コミュニケーションを取る手だてはパントマイム。
ああ、あなたの右手を胸に押し当てる仕種は"愛してるの意味"それとも"任せろ"の意味か。
風に掠れるあなたの声は"愛してる"の情熱さえ"愛してほしい"に聞き間違えてしまう。

黒き雲を操る支配者は"心を開け、閉ざすな"と激を飛ばす。
"扉を解放する者がコミュオンへの鍵"を得るのだと諭す。
見よ、身もだえする五色の琉(リュウ)が歓喜に打ち震えながら四散するさまを。
20のネガティブエナジーが二重に護っていたのは実在もしない"自分"という自我。螺旋(ラセン)に彩られた虚構を綿々と受け継いで来た証。

散々たる屍は天を歎き、自分の責を無視する。愛なる光りを欲して右手を掲げながらも左手で振り払う。自身の鏡を見ずに虚構たる他人をせせら笑う。

暗く変色をした心を持つ者よ、愛の不在を招いているのはあなたの背を向けた態度だ。自分より高く積まれた愛を高台から見下ろし、足りないと歎く者よ、愛を貪り消費せず、愛と一つになるために心を開け。

愛の不在などなく、愛の偏在こそこの世の真実なのだから。

気づいた者だけが断崖絶壁から身を投げる。
覚醒した者だけが平行線が立体であった事をしる。

孤独など幻影なのだから。
2012/10/12 (Fri) 12:37 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

たったひとりの愛を求めて


『今、愛の光が照らし、愛のエネルギーを人の活力にする。』


あなただけの愛を求めます。
あなただけの笑顔を求めます。
あなただけの輝きを求めます。


ただひとりの愛を求める事は罪ですか。
好きになって独占したい気持ちを持つ事はいけない事ですか。
好きな人に自分だけを見ていて欲しいと望むのは間違いなのですか。

愛しくて愛しくて心苦しい想いをすることは無駄な事ですか。
想えば想うほど身を焦がす苦しみを味わうのは愛では無いのですか。

並んで歩くだけで喜色満面になるのはおかしいですか。
手が軽く触れるだけで恥ずかしさに真っ赤になるのはおかしいですか。
真っ直ぐに顔を見詰めると気持ちが蕩けてしまうのはおかしいですか。


たったひとりの愛を求めてこの世にあなたは生まれました。聖人や覚者になる為にこの世に生まれて来た訳ではありません。あなたにこの世ですべき使命なんてありません。
たったひとりの愛を得る為にこの世にあなたは生まれて来ました。

たったひとりの愛が如何に素晴らしく魂を輝かせてくれるか体験するためにはあなたは此処にいます。
たったひとりに愛が注がれるとどんな想いになるかを体験するためにあなたは此処にいます。

慈悲や無償の愛は素晴らしいかも知れませんが、あなたには関係ありません。


たったひとりの愛を求めて生きていく事は世界創造の力を極めることです。
お互いのたったひとりの愛が新たな世界を生み出せるのです。
2012/10/10 (Wed) 06:37 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛猫になりたくて


『今、愛の光が心を照らし、愛のエネルギーが人の活力になる。』

猫は気楽だと誰が言うのだろう。見ていれば寝るか喰うかしかしていないように思えるからだろうか。

猫の寿命は短い10年も生きれば良い方だ。人間の80年に較べても極めて短い。
猫の1日は人間の4日に相当するらしい。猫にとっては一日が6時間になるという事だ。
1/3が睡眠とすると4時間起きて2時間寝るという事になる。
人間から見れば慌ただしいことこの上ない。寝てばかりいるように見えるのは仕方ないだろう。

人間は表面的に見て独断的に判断するのが好きだ。
『猫は寝てばかりで余り考えていないだろう。寝ていられるのはストレスのない証拠だ。猫は気楽で良いなあ~。』

猫は必ず起きているときは自分のテリトリーを徘徊して異常が無いか確認している。他の猫がいたら追い出し、血統の猫に挨拶する。猫は母系家族で構成され、猫の集会などと呼ばれるものは母猫に無事を確認しに行くものだ。
猫は猫で忙しい。むろん猫だから働きもしないが、野良猫なら食料調達も必要だ。大概は地域猫と呼ばれ有志の人間に餌を貰っているのだろうが。

猫も見た目どうりの気楽な商売ではない。
でも、外見が人間好みで可愛がってくれる人間に飼われるなら気楽かも知れない。
せめて、愛猫とされるなら猫に転生するのも悪くない。
2012/10/08 (Mon) 16:54 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛がうまれる


『愛の光が今を照らし、愛のエネルギーが人の活力になる。』


始まりは誤解だった。
君のしたことが僕への行為と勘違いした僕の誤解。
君の行為はすべて僕への行為に思えた時から行為は恋に変わって行った。

君を意識すると君は特別になった。

君を意識すると君は輝いて見えた。

君を意識すると君を好きになって行った。

君の何気ない行為には世界を変える力が宿っているように見えた。
君の笑顔を向ける相手には少なからず心の疼きを感じた。
君の話し掛ける女友達に君の見えざる運命を滔々と説明してやりたくなった。

僕は君に会う度に力を得た。
僕は君と話をする度に喜びを得た。
僕は君と同じ教室にいるだけで沐浴した聖者に成れた。

君に短所はなかった。君は僕には完璧だった。
君に欠点はなかった。君が僕には満足出来た。
君に厳しさはなかった。君は蕩けるような甘さで僕には無上だった。

君を肯定する事は世界が味方と宣言する事だった。
君を受け入れる事は創造主に感謝を捧げる事だった。
君を愛する事は絶対的な運命だった。

運命を信じる心が信頼を生み出した。
君を信じる事が宿命と言わしめた。

だから、愛が生まれた。
2012/10/07 (Sun) 15:37 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

ピンポイントの愛


『今、愛の光が照らし、愛のエネルギーを人の活力にする。』


慈愛は愛らしい愛で一番素晴らしいと言われます。母親が我が子に向ける優しい眼差しの愛が分け隔てなくあまねく人々に向けられた時、慈愛と言うのでは無いでしょうか。
恋人同士の愛は他に向けられないから慈愛より低く見られています。沢山の人に向けられた広い愛が神の愛だから、それに近い愛の方が素晴らしく高度な愛だと言うのです。

好きになった相手に向ける愛はピンポイントの愛です。その人にしか愛が与えられません。とことん愛するからちょっと方向がズレると執着になります。相手からの愛だけでなく、相手の全てを自分に向けて他を見て欲しくないから、よそ見をすると直ぐに嫉妬が浮き出ます。
女性の観音顔が般若顔に豹変してしまうのです。
男性の仏顔が鬼顔に変化してしまうのです。

慈愛が恋愛より高尚と言われるのはそんな、負の愛の表出が少ないからでしょう。
でも、愛に高い低いがあるのでしょうか。

慈愛が広く、沢山の人を対象にしているように、恋愛は狭く、特定の人を対象にしているだけです。
慈愛は広く愛エネルギー放射しているから負の愛に変化する力が弱いのでは無いでしょうか。
恋愛は狭く愛エネルギー放射しているから負の愛に変化する力が強いのかも知れません。

広く浅く掘った穴と狭く深く掘った穴はどちらが素晴らしい穴でしょうか。
同じ穴でしかありません。
違いは効能だけです。

広く浅く掘った穴は余り拘束されませんが、狭く深く掘った穴はガチガチに拘束されてしまいます。

慈愛も恋愛も穴の形の違いと同じような違いしか無いのでは無いでしょうか。

ピンポイントの愛だから悪いということは無い、広大無辺だから良いということは無いのでは無いでしょうか。

愛は愛、等しく愛であると言えないでしょうか。
2012/10/03 (Wed) 06:51 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛は不生不滅


『愛の光が今を照らし、愛のエネルギーが人の活力になる。』


あなたの愛は有限です。
でも、愛は不生不滅です。
あなたの愛が有限なのはあなたがあなたの命を有限と想っているからです。

命をどう考えているかで愛に寿命が生まれるなんて信じられませんか?

愛が命から生み出されるから命に寿命があるとその性質を受け継いで愛に寿命の制限ができるのです。

愛は不生不滅なのに命から生み出されるとはどういう事でしょうか。
それは人間という存在と愛の関わりから生み出される愛が違うからです。

人間の愛と不生不滅の愛は違うものということです。
命とは不生不滅の愛から溢れ出るエネルギーの通路のようなものです。
命とはあまねく愛を狭める時空の穴のようなものです。
命とは不生不滅の愛が三次元物質世界に表出した愛の一形態なのです。

命が如何なるものか考えた時愛を如何なるものかを考える事と同じなのです。

あなたの考えるひとつで愛は無限の力を発揮し、あなたの想いひとつで愛は無力になります。

あなたが愛を不生不滅と思うなら命も不生不滅と思う事です。肉体限りの命ならあなたの愛も肉体限りでしょう。

そんなあなたに関係なく"愛は不生不滅"です。
2012/10/01 (Mon) 07:40 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

プロフィール

きゅうとす

Author:きゅうとす
KIN214
白い律動の魔法使い White Rhythmic Wizard
ドリームスペル「青い共振の嵐」の年 律動の月16日(月)

2007・7より観念浄化を始めました。
生来のマイペースで遅々として進みませんが
自分なりに浄化をしています(笑)
きっとこの先には心軽く楽しい人生があると信じて
います。

2011年TUTAYAコミュが閉鎖されるのに伴いこちらのブログに移行します。
愛、恋愛などをテーマに観念浄化ワークと絡めブログアップします。

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