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神の愛、光・・・・


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』

愛されていないなーと思うのはどんな時でしょうか。
心が寂しくて辛い時でしょうか。
心が痺れて何も感じ取れない時でしょうか。
好きな人に冷たくされた時でしょうか。
回りの誰からも関心を持たれず話し掛けられなかった時でしょうか。

人は何処にいると思いますか。物質的には肉体は宇宙の中の銀河系の中の太陽系の中の地球上に立っているでしょう。
でも、心は何処にあるでしょうか。心は肉体と同じ所にありません。
何かを一心不乱に作業している時ならば心は肉体と一体化して肉体の中にあるでしょう。
でも大抵の人の大抵の場合は想像上の未来の中や、後悔という記憶の中や、場所の定まらない異次元に有ったりしています。
怒りという興奮状態にあれば我を忘れた世界に心はあります。
悲しみという消沈状態にあれば我が見えない世界に心はあります。

人は自分が何処にいるのかいつも見失っています。
愛を与えたいと思っている人がいても与えようがない状態なのです。
愛を与えられたいと思うならば心を肉体に戻さなくてはなりません。

肉体は"今という時間の此処という場所"にあります。
全ての人がそうです。
肉体のある所が"いまここ"なのです。

"いまここ"が神のいる場所なのです。神の光が溢れているところなのです。

"いまここ"以外は暗闇の中なのです。だから心が何処に行っているのか自分でも判らないのです。

愛の感じ取れない人は心が"いまここ"に無いのです。心が寂しく辛い時は心を"いまここ"に戻しましょう。
"いまここ"こそ愛の溢れているところなのです。
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2012/03/30 (Fri) 15:45 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

束縛するのが親の愛


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』

放任主義の親で無ければ子供の心配をするのが当たり前です。
放任主義といっても全く子供の心配しない訳ではありません。
子供の考えない先の先まで考えるから心配します。子供の自由を束縛します。
親にとって子供が幾つになっても子供です。心配だから口出しをします。

未就学児童の時は予測不能な行動をするから常に見張っていなければいけません。目を離せば何をしているか分からないのです。たとえ赤ちゃんでも目を離せば食べられない物を口にして喉を詰まらせたりするのです。歩き回れるようになれば直ぐに転ぶし、興味のあるものを見つければ回りに注意もせずにまっしぐらに車道に走り出したりします。親は目を離さないようにして子供の行動を規制します。言葉で言うこともあれば紐で括(くく)ったりします。

話が通じるようになればもっと沢山の規制をし、束縛します。言うことを聞かなければ罰則を持ち出したり、体罰を与えたりします。子供にとってはあれも駄目これも駄目で一体何ができると言うのか!と思ってしまいます。どうしてそんなに心配するのか、心配し過ぎだからもっと信頼して欲しいと思います。

親の愛は心配で出来てます。どんなに子供が成長しても信頼の愛にはなりません。

信頼を得るには信頼に足りる行動が必要です。約束事を必ず守る友人は信頼に足ると思われ、友人の頼み事には信頼で答えようとします。

親にとって子供は親の言う事を聞くべきだと思います。子供は独立するまでは親の庇護の基で生きているからです。生活の基盤の全てを与えて貰っているからには与えてくれる者に従わねばなりません。さもないと庇護を剥奪されても文句言えません。

親の愛は庇護の愛です。無償の庇護ですが条件があります。親を絶対者として従う事です。従わないなら自主独立して庇護の基から離れるしかありません。親離れです。


束縛するのが親の愛です。束縛されることで自由を知り、愛されていた事を子供は知るのです。
2012/03/28 (Wed) 06:49 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

汝愛することなかれ


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』


あなたは愛されて嬉しいですか。
愛されている実感を掴むまで不安になりますか。
始終、愛されていないと不満が溜まってしまいますか。

あなたにとって"愛されること"が何より大切な事のようですね。
あなたにとって"愛されること"はどんな意味を持つのでしょうか。

あなたにとって"愛されること"は
あなたが大切な存在であること
あなたが生きていても良いこと
あなたが必要とされていること
を証明してくれるものなのでしょうか。

あなたにとって"愛されること"はどんな行為の事でしょうか。
柔肌に滑る指先のなめらかさを感じ合うことでしょうか。
触れ合う温かさを確かめるハグのことでしょうか。
胸を突き合わせリズミカルな律動に身を任せる快感を得ることでしょうか。
心の襞まで気を使い優しく扱われることでしょうか。
心の機敏を読まれ先の先を見越して欲しい物を与えて貰うことでしょうか。

いいえ、あなたの望んでいるのは好きな相手があなたの為に四苦八苦しながらも、頑張ってあなたの意志に沿おうと努力している姿が見たいのでしょう。
それをあなたは"愛されている実感"としているのではないですか。

あなたが好きな相手を愛すること無しにあなたは"愛されている実感"は受け取れ無いでしょう。"愛されている実感"を持つ者こそ一番"愛されている実感"を与えることの出来る者ですから。
2012/03/26 (Mon) 10:44 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

咲き乱れる愛


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』


ラフレシア(Rafflesia)は東南アジア島嶼部とマレー半島に分布するラフレシア科ラフレシア属の全寄生植物で、十数種を含む。多肉質の大形の花をつけるものが多く、中でもラフレシア・アーノルディ Rafflesia arnoldii (日本語で「ラフレシア」と呼ぶ場合、たいていこの種を指す)の花は直径90cm程にも達し、「世界最大の花」としてよく知られている。この花の花粉を運んでいるのは死肉や獣糞で繁殖するクロバエ科のオビキンバエ属などのハエであり、死肉に似た色彩や質感のみならず、汲み取り便所の臭いに喩えられる腐臭を発し、送粉者を誘引する。
  by Wikipedia

ラフレシアは世界最大の花ですが愛の花はラフレシア以上です。大きさだけでなく華やかさもラフレシア以上です。
もちろん、一人一人色も形も大きさも違うし匂いも違います。一人一人違って良いし違うのが当然なのです。百花繚乱というのが愛という花なのです。
2012/03/24 (Sat) 16:48 |恋愛および愛 |トラックバック(1) |コメント(0)

愛は夢を魅させる


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』

好きな人がいると妄想します。
好きな人がいると想像します。
好きな人がいると希望します。
好きな人がいると要求します。

好きな人との蜜月を妄想して恥ずかしがる必要はありません。照れたりすることは無いのです。べたべたしたり甘えたりしたくなるのは当然だからです。むしろべたべたしない愛しか想像出来ない事の方が異常です。

好きな人との蜜月を想像しても何の問題もありません。あんな事こんな事色々一緒に体験したい、したらこんな風だろうと想像すべきです。想像してどうするかどう答えるか考える必要さえあります。むしろ想像出来ない方が異常です。

好きな人との蜜月を希望するのは当然のことです。二人っきりで誰にも邪魔をされないで好きな事をしたいと望まない程度の好き加減では大好きと言えません。むしろ二人っきりの状況を積極的に作るべきです。

好きな人との蜜月を好きな人に要求するのは当たり前のことです。二人だけの時間を持たなければ二人の気持ちを通じ合うのが不可能になってしまいます。むしろたくさんの時間を共有してお互いを知り尽くすべきです。

愛は夢を魅させます。
愛は相手の内に自分の夢を投影し、妄・想・希・要で魅了するのです。
2012/03/22 (Thu) 07:38 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

無愛世界


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』

この世には無関心が蔓延しています。自分の世界の出来事の処理に手一杯で他人のすること、他人の気持ちに関心を持たなくなります。結果、目に見えている出来事に関心を持たなくなります。更に自分に対する働き掛けや想いにさえ注意を払わなくなるのです。

この世はあなたの想いのフィルターを通した世界です。あなたの観念という思い込みが彩る世界なのです。

あなたが"世界は無関心に満ちている"と想えばそのように世界は見えて来ます。"無関心"はあなたの心の内の世界に満ちているからそんな想いが世界に現れ出て来るのです。

あなたが愛に満ちて愛を想い、"無関心"を持たなければ世界は変わります。世界は"愛の想い"に満ちた世界になるでしょう。

愛の反対は"無関心"です。憎悪・嫉妬・恨みなどは愛の別の顔なのです。
自分への関心を失った時心は虚無に落ちます。全てが虚になり、自分の消滅となります。完全消滅です。


全ての人が"無関心"になったなら人類は消滅します。

全ての人が全てを"無視"したなら人類は消滅します。

全ての人が"無愛想"になったなら人類は消滅します。
2012/03/20 (Tue) 17:45 |恋愛および愛 |トラックバック(1) |コメント(0)

愛を誤解する3つの理由


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』

誰も愛を説明出来ません。誰も愛を教えられません。愛は二つと同じではありません。

この三つの理由から愛は誤解を生んでいます。

愛がなんであるか説明できると誤解しているから自分が好きな相手を愛しているかどうか判りません。
"愛している"という気持ちは"愛している"行動に出ます。ただその気持ちは深い所からの衝動なので、言葉に変換した途端に複雑な細かい気持ちが離れてしまいます。"愛は優しさ"と言った途端に優しさ以外の肌の触れ合う温もりや心の篭った眼差しが説明出来なくなります。

相手に愛を教えられると誤解しているから"愛は世界で一番大切なもの"とか"愛しているなら裏切りをしては駄目"とか言ったりします。
愛は教えられるものでなく体験から体得するものです。愛は状況によって価値が変動し愛は人の気持ちによって崇高になったり低俗になったりします。

相手の愛と自分の愛が同じ愛だと誤解しているから愛されていないんだとか最近愛情が足りないと相手を責め苛んだりします。
自分にとって愛とは"思いやりの限りを尽くす事"と思っていても相手には思いやりでなく色々と干渉されてやりたい事が出来ていないと思っていたりします。だから、愛について話し合いが必要な事もあるのです。

愛を正しく知らないと誤った見方で好きになった相手を憎んで別れなくてはいけないような辛い気持ちになってしまうことも有りうるのです。
愛を正しく知るには愛についてよくよく話し、考え、聞く事です。
2012/03/18 (Sun) 21:03 |恋愛および愛 |トラックバック(1) |コメント(0)

愛を疑え!


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』

あなたは愛されて幸せですか。
あなたは誰かを愛して幸せですか。

今、幸せに思えない環境にいると思うなら、あなたの愛は偽物です。
あなたはあなたに向けられた愛を受け取り拒否しています。そんな愛なんて要りませんと門前払いをしているのです。

宗教ではありませんが、あなたは神から愛されています。あなたがどんな環境に身を置いているにせよ、どんな苦悩に苛んでいるにせよ、どんな痛みに耐え忍んでいるにせよ、望まぬ気持ちでいるにせよです。
神が尻を拭く価値もないと思っていても、あなたをこの世に送り出した存在は全面的にあなたを愛しているのです。
あなたに向けられた妬みそねみ恨み怒りなどのマイナスエネルギーに意識を向けず、愛のエネルギーに意識を向けて下さい。

あなたの愛が偽りなのはあなたの心が愛に向いていないからです。あなたの心はいつも自我の都合に向いています。自我を喜ばせる全てがあなたの愛なのです。自我は妬みそねみ恨み怒りなどのマイナスエネルギーを生み出します。心が意識がそこに向かっているから偽りの愛に振り回されてしまうのです。

孤独で寂しくて辛いという想いは何処から来るのでしょうか。自分が分離されている、繋がりが無いという想いからです。リレーショナル(関係性)を求めるのもその為です。愛の関係、信頼の関係、友情の関係、嫌悪の関係、憎しみの関係、妬みの関係、恨みの関係、歎きの関係・・・・全てが繋がりを創る為のものです。一方的な感情を抱くのも繋がりを保つ為の方策なのです。
結婚すれば寂しく無くなるというのは嘘です。好きになれば一人が辛く無くなるというのは勘違いです。

あなたの愛が偽りのままではどのような状態でも変わりません。あなたの心が意識が自我のマイナスエネルギーに向いている限り変わりません。

あなたの愛を疑って下さい。
2012/03/16 (Fri) 20:56 |恋愛および愛 |トラックバック(1) |コメント(0)

愛する人を守れますか


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』

あなたには守りたい人がいますか。
どんな事から守りたいですか。
どんな物から守りたいですか。

愛を知り愛を生き愛に準じ始めると愛する人を守りたい願望が生まれます。愛する事に献身が含まれているからです。
献身は愛する相手の望みを全て叶える事を要求します。献身は愛する相手を全身全霊をもって守る事を要求します。

献身は我が身を削って捧げるものではありません。誤った理解は"献身的な介護"などと言うと寝ないで看護するイメージをもっている為です。
献身は我が身を愛する相手にお任せするという意味です。我が身を捨てるという事ではなく愛する相手の意向に沿って身を尽くすという意味です。

誰が愛する人の苦しむ姿を見たいのでしょう。
誰が愛する人の憔悴した姿を見たいのでしょう。
誰が愛する人の痛々しい姿を見たいのでしょう。

度を過ぎた献身や間違った献身は愛する相手の心を傷つけるだけです。
相手を守ることは献身ではありません。愛する相手に自分の強さを誇っているだけです。自己満足の泥沼に嵌まっているだけです。

愛する相手を真に守りたいならば"愛"を守るべきです。肉体的に精神的に相手を守るなんて言うのはおこがましいことです。危険な場所に愛する相手を連れ出すことこそ避ければ肉体的には守れます。危険な場所でも自由に我が身を守れる相手ならば守るという事は無意味です。
愛する相手を真に守りたいならば"愛"を守るべきです。精神的に相手を守るなんて言うのは僭越な事です。精神的に弱っているならば喧騒を避け閑静な山村などで静養することです。目まぐるしい変化に富んだ都会で生活する事を好む精神には過度の刺激さえ我が身の向上に必要な事で刺激を遮るのはむしろ邪魔な事です。

相手を守るならば自分の愛が揺らぐ事無く相手を愛しつづけるよう信頼を繋ぐ事です。
献身からの"守り"でなく信頼からの"守り"をすることが愛する相手を真に守ることになるのです。
2012/03/14 (Wed) 06:55 |恋愛および愛 |トラックバック(1) |コメント(0)

成熟した愛

『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』

成熟した愛は低レベルな想いが起きません。
感情の起伏は豊かになるので見た目は情緒不安定に見えるかも知れませんが不快感を与えないのです。

成熟した愛の持ち主はみずみずしい愛の薫りを発散して近寄るものを悉く魅了します。俗に言う"人たらし"な状態です。

成熟した愛の持ち主は薬師如来像のように静かに微笑み慈しみあまねく幸せを与えつづけています。

成熟した愛の持ち主は素敵なものを見つけ出す才能をフルに発揮し回りの人達を笑顔に幸福にする事が出来ます。


愛が成熟するには何が必要なのでしょう。
愛を深く知る事、愛を深く体験する事、愛に深く漬かる事、愛を深く見詰める事が必要です。

愛が成熟するには時間は必要ありません。

愛が成熟するには愛以外に必要ありません。

愛が成熟するには想いを念いに変える位の情熱と熱意と執念が必要です。


成熟した愛の持ち主は成熟した魂の持ち主です。
2012/03/12 (Mon) 22:10 |恋愛および愛 |トラックバック(1) |コメント(0)

苺の愛




『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』

甘くてちょっぴりすっぱい苺は愛そのものです。

甘いだけが愛ではありません。
人生には辛い事もありますがそれを和らげてくれるすっぱい愛もあるのです。
すっぱい愛は思い出としてあなたの人生を彩ってくれるのです。

形がいびつな苺だって愛に負けない甘さがあります。形より愛であることが大切なのです。

沢山食べ過ぎると苺も甘味が無くなってしまいますが愛も同じ事です。食べてばかりでなく分け与える事も必要なのです。


苺狩りは楽しむものです。
愛の経験も楽しむものです。
2012/03/10 (Sat) 12:00 |恋愛および愛 |トラックバック(1) |コメント(0)

光の愛、愛の泉


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』

愛が見えるとしたらどのように見えるのでしょう。
それは光として見えるのでは無いでしょうか。
それは泉として見えるのでは無いでしょうか。

サンサンと明るく透明に降り注ぐ光のような愛でしょうか。人に頑張る勇気と明るさを与えてくれる光のような愛でしょうか。

こんこんと湧きい出て透き通った濁りのない泉のような愛でしょうか。人に一歩前に出る力と喜びを与えてくれる泉のような愛でしょうか。

あなたの与える愛は光ですか、泉ですか。
あなたの受け取る愛は泉ですか、光ですか。
どちらも愛のタイプは違えど同じ愛です。

出口が違い出方が違い形が違うように見えますが大元は同じ愛なのです。
愛の役割としては同じ愛なのです。

受け取る側のイメージの作り方が違えば千差万別となります。優しく受け止めれば愛は優しく輝き、厳しく受け止めれば厳しく光ります。軟らかく受け止めれば愛は軟らかく触れ、ざらついて受け止めればざらついて触れる事になるのです。すべては受け取る側の想いに因るのです。

受け取る側が心の内側から受け取るか心の外側から受け取るかでイメージが変わります。
心の内側から受け取ればじんわり沁みて来たり、ほかほかとやんわり暖かみを感じたり、怒涛の熱き流れを感じたりします。泉や溶岩のイメージです。
心の外側から受け取れば空いっぱいからふわりふわりと舞い落ちて来たり、しとしとと霧雨のように包み込まれる感じになったり、そこにある自然から強く生きている存在を感じたりします。空や雨のイメージです。

光の愛、愛の泉どちらもあなたに届く愛のメッセージです。
2012/03/08 (Thu) 11:22 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛の交歓


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』

愛の交歓とは肉体的な愛の交じり合いの事です。
単なるただの交歓ではありません。
単なる肉体的な交じり合いではありません。
子作りの為だけの肉体的な接触ではありません。
快楽の為だけの肉体的な接触ではありません。

歓びは自分一人に閉じ込めて置いても気分の良いものではありません。
交歓することが大事です。交換してお互いに循環させる事でスパイラルを描いて解放されるものです。

愛が巡りお互いを暖め合うと愛が幸せをもたらします。

愛の交歓を肉欲の充足としか捉えていないと愛が衰えて行きます。心が通じ合う愛の交換だけでは生まれ得ない愛もあるのです。
それは"悦び"という愛です。互いの実感を持った確認の愛です。

熟年夫婦では夜の営みをしない夫婦が80%もあるそうです。一方で益々盛んになる女性もいるようです。愛についての価値観の違いは当然あるものですし、年齢と伴に変わるものです。だから、愛の交歓が無くなってしまうのも無理はありません。

でも、お互いを思いやり"ハグ"するくらいの愛の交歓は無くしたくないものです。
2012/03/06 (Tue) 10:43 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

恋は熱病、愛は・・・・


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』

恋するとどうしてあんなにも夢中になれるのでしょうか。
恋するとどこからあんなにもエネルギーが湧いて来るのでしょう。

病気になると熱が出ます。免疫が働いて病原菌を捕食して分解するからです。発熱して病原菌を熱で死滅させるからです。
捕食するのは血液中の白血球です。

白血球とは
体内に侵入した細菌・ウイルスなど異物の排除と腫瘍細胞・役目を終えた細胞の排除などを役割とする造血幹細胞由来の細胞である。血液検査などではWBCと表されることが多い
大きさは6から30 m(マクロファージはそれ以上)。数は、正常血液1マイクロリットルあたり、3500から9500個程度である(白血球数の基準値項目参照)。
    by Wikipedia

恋愛では"他人の考え"という病原菌が心を犯すのです。"他人の考え"という未知の考えに侵食されると恋という白血球が活躍します。
"他人の考え"という未知の考えを自分の考え方、観念で解釈し取り込んでいるのです。激しく恋が活動するから発熱します。熱くなった恋で"他人の考え"という未知の考えを既知の考えに変換しているのです。

だから『恋は熱病』だと言われるのです。
だから恋は治ります。完治出来るものなのです。


では愛はどうなのでしょうか。『愛は情念』です。
愛は他人の考えや行動をきっかけとして、自らの内側から湧きだしてくる想いです。激しくも止めどもない想いなのです。それは情念としか言いようの無い想いです。
だから愛は治りません。完治出来ないものなのです。
2012/03/04 (Sun) 17:32 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

燃え上がれ愛


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』

愛は経験しないと判らない事だらけです。
言葉で美辞麗句を飾って愛を語っても舞台の上の演劇の台詞でしかありません。むしろ演じる役者さんの方が愛を語る資格を持てるかもしれません。
愛は底無しです。表現の自由は愛の為にあるのではないかと思えるほどで、様々な表現が可能です。人の数だけ表現出来る上に様々な生活のシーンで変える事が出来ます。

"強くあること"が愛と考える男性がいたとします。この人にとって愛する人を強く愛する事が愛の深さを証明することになります。
愛する人との愛の証の行為は情熱的でしょう。強く情熱的であればあるほど愛の深さを証明することになります。
愛する人へのあらゆるトラブルから護ってくれることでしょう。自分が強い盾であればあるほど愛の深さを証明することになります。
逆に自分がへこんでいる時に強く情熱的に励まされたりすれば愛されている実感を激しく持つでしょう。

"優しくあること"が愛と考える女性がいたとします。この人にとって愛する人を優しく愛する事が愛の深さを証明することになります。
困ってる人を見たら助けるのが常識だから無視して通り過ぎる人に愛を感じられません。
優しく話をするのが常識だからつんつんキャンキャン騒ぎ立てている人に愛を感じません。
好き嫌いをして食べ残ししたり、無駄な電気を使う地球に優しくない人に愛を語って欲しくないと考えてしまいます。

優しさに包まれてストレスなくいられる自分だけの時間に愛がサンサンと降り注いでいれば深く自分は愛されていると実感するでしょう。

愛は体験です。
他人の体験を批判することが無意味なように他人の愛を批判するのは無駄な事なのです。
2012/03/02 (Fri) 12:43 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

プロフィール

きゅうとす

Author:きゅうとす
KIN214
白い律動の魔法使い White Rhythmic Wizard
ドリームスペル「青い共振の嵐」の年 律動の月16日(月)

2007・7より観念浄化を始めました。
生来のマイペースで遅々として進みませんが
自分なりに浄化をしています(笑)
きっとこの先には心軽く楽しい人生があると信じて
います。

2011年TUTAYAコミュが閉鎖されるのに伴いこちらのブログに移行します。
愛、恋愛などをテーマに観念浄化ワークと絡めブログアップします。

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