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愛の敵対者


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』


人を愛する事は素晴らしい出来事です。
人生の中で起きる出来事としては信じられない幸運とも言えます。
人を愛する事は自分でどうにか出来る出来事ではありません。

愛は突然に襲って来るものです。
昨日までただの友人だった相手が何気ない一言で意識し始め、好きで愛していた事に気づいたりするのです。
それまで出逢いを求めいろいろな機会を作っていても求めていた相手が見つからなかったのに既に近くにいたのだと判る出来事が起きたりするのです。

愛は自分が好きになる努力をして、相手の良い部分を認めて許して受け入れて生み出すのではありません。自分の他人に対する姿勢(認めて許して受け入れて)を保つ事で突然に訪れるものなのです。

愛する努力とは自分の姿勢を質し続ける努力の事です。

愛を求めるなら愛を受け入れる下地を作るべきなのです。下地が十分に整えば自ずと愛が顕れるでしょう。
下地とは愛を受け入れる心の事です。
愛を受け入れないなんてありえないと思い込んでいるなら下地は無いのと同じ事です。
愛を受け入れる下地が何なのか判っていない証拠だからです。

愛を受け入れる下地とは"思い込みの無い素直な心"の事です。全ての心づくしを受け入れられる心の事です。

自分以外の人から言われる言葉、態度、出来事は"心づくし"です。

それらを素直に受け入れ、勝手な自分の判断や思い込みを入れなければ愛は知らぬ内に顕れるでしょう。

すなわち、愛の敵対者は自分です。
素直な心でない自分が愛を拒否しているのです。

自分以外の人から言われる言葉、態度、出来事はあなたを愛ある人に変えようとしてくれている"心づくし"であると理解しましょう。
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2011/12/31 (Sat) 08:57 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛を彩るもの


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』


愛はいろいろな感情がついて回ります。

優しい気持ちでは愛は優しく立ち上がります。感情を波立たせたりしません。むしろ静め落ち着かせます。

苛立たしい気持ちでは愛は烈しく立ち上がります。愛が出たり引っ込んだりで慌ただしい事この上ありません。

悲しい気持ちでは愛は恐る恐る立ち上がります。まるで愛がそこにあるのかどうかさえ判らないほど微かになります。

怒り狂った気持ちでは愛は憎々しく立ち上がります。全ての破滅を願うほど憎悪に染まります。暗黒の心になるのです。

清々しい気持ちでは愛はさらさらとなります。神々しくも闇を打ち払う光の風を吹き上げるのです。

愛を彩るもの、それは感情です。
心に愛を持っていても揺れるものです。

多彩であればあるほど心は不安を覚えますが、愛は豊かになります。
豊かな愛は更に多彩な輝きを放つようになるのです。
2011/12/29 (Thu) 11:00 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛とアイドル


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』


"思いやり"は愛のひとつですがなくてはならないものです。

"思いやり"という優しさの上に愛は積み上がって行くものです。

"思いやり"があるから相手に対する理解が生まれ、相手を受け入れる心の広さが生まれ、相手の立場に立つ事が出来るのです。

愛は積み上げれば積み上げる程高くできます。
高ければ高いほど沢山の人達の憧れになります。
沢山の人達に慕われ羨望の的となるのです。

若くして沢山の人達が憧れ、好かれる存在を
『アイドル』
と言います。
芸能に秀でる必要は有りません。
人を操る術を持ったり人たらしである必要など無いのです。

逆に『アイドル』だから愛に溢れているとは限りません。一芸を持って人気者になっただけの人もいるからです。

愛に溢れる『アイドル』になる事が長続きする本当のアイドルなのです。

本物ほど周囲に謙虚です。
謙虚は愛の顕れの一つだからです。

本物ほど回りに感謝します。
感謝は愛の顕れの一つだからです。

『愛取る』偽物アイドルでなく
『愛tall』として愛を体言する存在であるべきなのです。
2011/12/27 (Tue) 11:29 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛のカケラたち


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』


ドキドキは愛の煌めきです

ワクワクは愛の輝きです


愛のカケラは期待が愛の力に触発されて生まれます。
未知なる世界を体験する喜びと愉しさが愛のカケラになるのです。


愛のカケラたちは一日を楽しい時間に変えます。
過ごす時間は同じでも愛のカケラの無い時間は冷たく淋しいものです。

愛のカケラを手に入れるには年齢も地位も場所も必要ありません。
ほんのちょっぴりの勇気が要るだけです。

ほんのちょっとの一歩が求められるだけです。

勇気と一歩が新しい出逢いを生み出し、知らないあなたの魅力を引き出すのです。

愛のカケラを集める努力は意味がありません。

愛のカケラは砂糖菓子のように味わうものです。


愛を求めるなら愛のカケラを味わい尽くし、愛のカケラの向こう側に見え隠れする世界へ踏み出しましょう。

愛のカケラはあなたの愛の誘い手なのです。
2011/12/25 (Sun) 06:37 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛と劣情


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』

"劣情"は誰にもあるもの。
自分をおとしめるものではありません。
情けなさを感じる必要もありません。

愛の対極にあるものでなく、愛の一部です。
"好き"という気持ちを躯で顕したものです。

心に相性があるように躯にも相性があります。
肉欲を心がコントロール仕切れていれば相性は関係なくなりますが、完璧にコントロール出来ている人は稀(まれ)です。

肉欲に振り回され、心が引きずり回されてしまい、心に肉欲が残るから劣情と言われるのです。
四六時中躯が肉欲に苛まれる様ならば既に病気の域でしょう。
刺激を刺激で紛らわせる中毒症状を示すなら、そこには愛はありません。

愛を保つ劣情は気持ちを高めるものであり、擾乱の中の劣情は愛をおとしめるのです。

愛と劣情は互いに敵対するものでは無くて、互いに必要とするものでも無くて、雨(愛)が降れば立ち現れる水しぶき(劣情)のようなものなのです。
2011/12/23 (Fri) 06:05 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

一瞬の愛


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』

永遠の愛は存在しません。誰もが憧れ、身に付けたいと願う愛ですが、妄想です。

あなたの気持ちをひとつにし続けられません。
ひとつの気持ちでいつづけると苦しくなってしまいます。

愛も同じなのです。

愛でいつづける事が出来ません。
愛し続ける事は苦しい事なのです。
愛し愛されるなら愛が循環し、愛が二人の間を回り続けられるでしょう。
それでも次第に苦しくなってしまいます。

愛が最高に輝けるのは一瞬です。
瞬間だからこそ輝きが増すのです。
愛のエネルギーがピークを持つ集中がなされるから大きな影響力が発揮されるのです。

一瞬に永遠を感じるなら愛も永遠があるのかも知れません。
でも、一瞬に永遠を感じるのは妄想です。
妄想の中にしか永遠はありません。


永遠の愛とは妄想なのです。
だから、手が届かないのです。

一瞬の愛こそ真実なのです。
2011/12/21 (Wed) 06:20 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛の響き


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』

ストーブは暖かいですね。だるまストーブという石炭を燃やしたストーブが昔の学校の教室にありました。ガンガン燃やせば教室中に熱が伝わって暖かくなりました。ストーブの近くは熱すぎて近づけない程になったものです。

愛はストーブの熱です。
強く燃やせば強く伝わります。
強すぎて離れてしまう事があるのは受け取る者に受け取る力が足りないからです。

ストーブの熱は炭を燃やすことで得られます。
愛は心を燃やす事で得られます。好きな相手のことを想って念じることです。
激しく念じると心は激しく燃えます。
強く念じれば心は強く燃えます。

愛の影響範囲は想っている人の愛している人達まで及びます

影響範囲を色に例えれば、明るい色は夜の満月の色のような青白さであり、昼間の輝ける白色ではありません。人の愛の色は少しくすむのです。

愛が愛で包み込み、その影響を与えることが間接的で有る限り仕方の無い事と言えます。

強すぎる愛を受け取れる人は愛に鈍感なのです。強烈な自我の鎧で身を護っていて感受性が弱くなっているのです。
強すぎる愛を受け取れる人は強い愛を身にしているのです。人を強く激しく愛せる人なのです。

愛の影響力は響き合う力の響き具合で異なり、響きの高さによって色合いが違うのです。

愛が響かないのは愛が足りないのでなく愛が異なり過ぎるためなのです。
2011/12/19 (Mon) 08:05 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛絶対主義


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』

愛絶対主義です。

愛が絶対の基準です。
愛を踏み外して生きる事は外道の生き方になります。自分に無慈悲な生き方になります。

優しさを持たない人生がいかに惨めなものか気づくべきです。

いたわりの少ない人生がいかに哀しいものか知るべきです。

親切心を与えない人生がいかに辛いものかのか感じ尽くすべきです。


愛する事の喜びと難しさを噛み締められない人生は砂を噛むような味気なさになるでしょう。

愛される事の愉しさと受け入れる事の困難さを味わえない人生は自分らしさを味わえないようになるでしょう。

愛が全てです。
愛至上主義でいるべきです。

この世は愛で満たされています。
でも人々は気づきません。
瞳の奥には愛が揺らめいています。
でも人々は無視をします。

心の奥が愛で満たされていないと愛に気づけません。心の奥が愛で溢れていないと愛を認められません。

愛の究極は愛です。
愛以上に愛はありません。
2011/12/16 (Fri) 23:40 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

犠牲(サクリファイス)愛


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』

何かを犠牲にしなければ得られない愛というものがある。
とても尊くて眩しい至高の愛だ。
代償は命であったり、宝物であったり、大切な人だったりする。
むろん、何物にも換えがたい愛である。
人生で二度と手に入れる機会などない愛である、

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
愛は何も要求しない。
愛は愛のまま完結している。
愛は誰かのものになったりしない。
愛は愛のまま輝いている。
愛は誰かに独占されたりしない。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

色々なひとと色々な関係を持とうとするのが人間です。だから、好きなひとに振り向いて貰う努力は愛ではありません。
ひとは基本的に自由です、誰とでも何をしても構いません。だから、好きなひとを独占する苦労は愛ではありません。
自立した意思と独力で人生を歩むのが人間です。だから、好きなひとを支える奉仕は愛ではありません。

ひとを好きになったり嫌いになったりするのが人間です。だから、好きで居続けようと無理をするのは愛ではありません。

愛が犠牲を要求していると考えるのは誤りです。
犠牲にされたと歎いているのは自我の欲望です。
犠牲が愛に価値を持つ事などありません。価値を見出だしたのは自我だけです。要求し要求を満たそうとし要求を突き付けるのは自我です。
愛の名の元に犠牲を要求しているのは自我です。
決して満たされない底無しの欲望を満たそうとしている自我です。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
愛は独りです。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
2011/12/14 (Wed) 06:55 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛を意識する事から


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』

愛するとはどういう事だろうと意識することから愛の本質を知る旅は始まります。
意識を向けると心のエネルギーを照射する事になり、向けたものの構造があらわになります。

愛が単純な"好き"という感情でない事に気づけます。
愛の構造には肯定と否定があること、安心と不安があることが朧げに見える筈です。

感情はいつも不確定で、固定されているものではありません。
ヤジロベーのように向きも傾きも何時も変わっているのです。

好きの想いのプレートの上に愛の風船が浮いています。好きのプレートは四分割されて肯定・否定・安心・不安のエネルギーで支えられているとします。

好きの想いを土台に相手に対する肯定が愛を高め、否定が愛を歪めます。
好きの想いを土台に相手に対する安心が愛を大きくし、不安が愛から柔軟さを奪います。

愛はいろいろな変化を見せるのです。
もっと詳しく観察すれば更に色々な要素に影響を受けているのが判るでしょう。詳しく観察するには更に意識を集中することです。

心の中の愛の本質や真理を探求する旅は果てしなく続くのです。
2011/12/12 (Mon) 20:48 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛、較べられますか?


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』

あの人も好き、この人も好き。
選べない~〓みんな愛してるんだものぉ~〓

なんて台詞はアイドルの建前だけです。
実際に人を好きになればより好きな人は判るはずです。

あの人にはあの人の良さがあって、この人にはこの人の良い所がある。
その通りでしょう。
でも好きと良さは同じ事ではないのです。

人の良さは様々です。

話し方が上手で人当たりが良い人。

笑顔で腰の低い人。

優しく軽やかな声の良い人。

涼やかでクールな人。

親切で落ち着きのある人。

"良さ"はあなたが認めている価値観です。
プラスの力を持っていると信じているものです。

"好き"はあなたが感じる心地好い感覚のことです。
心引き付ける力を持っていると認めている事です。

似ているかも知れませんが違うものなのです。


"好き"を較べる時は自分の感覚に身を委ねましょう。
"良さ"を較べる時は自分の価値観を検証しましょう。
"愛"は"好き"と全く同じではありませんが同類です。

あなたは
愛、較べられますか?
2011/12/10 (Sat) 15:42 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛の悪魔の騙ること


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』

愛の真実は誰にも語る事が出来ます。

"言葉"にしてしまえばただの"言葉"となってしまうからです。
意味を伝えるだけの言葉には力がありません。ただの音に過ぎなくなってしまうのです。

"言葉"に魂がこもっていないと受け取る相手に伝わりません。
魂とは想いであり、愛であり、思いやりであり、優しさであります。
その時その場でその人に伝えたい言葉があるから魂がこもります。

言葉を騙(かた)るものには誠実さがありません。
言葉を弄(もてあそ)ぶものに敬意はありません。
言葉に悪意を込めるものには嘲笑しかありません。
言葉に皮肉を混ぜるものには冷笑しかありません。

本物の愛の言葉を語る語り部は愛の柔らかさがあります。
本物の愛の言葉を話す紡ぎ手は愛の温もりがあります。

愛の悪魔の騙る言葉に耳を傾けてはなりません。
愛の真実はそこには無いからです。
2011/12/08 (Thu) 12:10 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

世界で一番愛してる

『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』

誰も自分を認めて欲しいと望みながら生きています。
誰も自分の在り方を許して欲しいと望みながら生きています。
誰も自分を受け入れて欲しいと望みながら生きています。


好きな人に好きだと告白するのに勇気がいるのは好きだと知られたくないからでなく、好きになって貰えるか不安だからでなく、好きでいつづけられるか不安だからです。
自分のことしか考えていません。

愛してる?と聞かずにいられないのは"愛"を知らないからです。愛は与えた分だけ与えられると思い込んでいるからです。自分が"好きな"相手にどれ程愛を与えたか判っていないからです。相手が満足し充足するほど相手に与えていない事を知っているからです。
自分のことしか考えていません。

"好きな"相手が喜んでくれるだろうからとプレゼントをしたり、なにくれと面倒を看たり、体を重ねたりしますがそれは相手を愛してる事になりません。自分が相手を愛してるという証拠を積み上げて自己満足しているだけです。
自分のことしか考えていません。

この世で一番愛してるのは自分だけです。
2011/12/06 (Tue) 12:04 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛を感じる


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』

愛情を感じた事はありますか。
愛情で気持ちがほっこりした事がありますか。

愛情を感じる相手は母親であったり、父親であったり、好きな相手であったりしますが、あなたの心が愛情を感じています。

愛情を感じさせてくれる出来事や行動は母親からの心優しい言葉であったり、父親からの無言の援助であったり、好きな相手からの素敵なプレゼントであったりします。
それは、"人からの気持ち"を汲み取って自分が愛情を得たと思っているという事です。

"愛情をかんじる"とは他の人からの刺激に自分の中の愛が反応しているという事なのです。
"刺激"とは優しさ・暖かさ・いたわり・親切心・気遣いのことです。
2011/12/04 (Sun) 19:06 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

苦しみの愛


愛は苦しみでしょうか。
愛は喜びでしょうか。

宗教で指し示す"愛"とはネガティブなイメージがありません。
柔らかく包み込み苛立つ心を宥め癒し、温かく優しく触れて逆巻き渦巻く感情を落ち着かせリラックスさせるものと言ったところでしょうか。
キリスト教で言えばイエス様が与えてくれる光といったイメージかと思います。

普通の人間が普通に生きても、様々な感情を持ちます。金銭的に不足のない環境にいても好きな人が出来たり、嫌いな人が見つかったりします。
恋愛をする前から"愛"についてイエス様的なイメージを持っていると、好きな人が出来た時に苦しい想いをします。
すんなり相思相愛に成れれば、好きという自分の感情を受け入れて貰えて余り苦しい想いをしないで済みますが、そう上手く行くものでもありません。
"受け入れる"というところで"愛"を知る訳です。
好きなだけでは駄目なんだと思う訳です。
お互いが"好き"を確認しても不安があります。いつ心変わりするか判らないからです。自分も気分にむらがあるから相手も同じだろうと思う訳です。
"好き"は"嫌い"をいつも孕んでいるということです。だから、好き嫌いを超えた"愛"でなければ駄目なんだと思う訳です。

現実の"愛"はいつも気持ち良い事ばかりではありません。語られる"愛"は理想でしかなく、そのギャップには驚かされます。
何故こんなにもギャップがあるのでしょうか。

仏教では『この世は苦しみです』と言い切り、『四苦八苦』するところだといいます。思い切りシビアなのですね。身も蓋も無い言葉で幻想を打ち破り、苦しみを造る原因を取り除こうとしている訳です。だから"愛"も苦しみを生み出す幻想(理想)の一つでしかないのです。
2011/12/02 (Fri) 21:08 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

プロフィール

きゅうとす

Author:きゅうとす
KIN214
白い律動の魔法使い White Rhythmic Wizard
ドリームスペル「青い共振の嵐」の年 律動の月16日(月)

2007・7より観念浄化を始めました。
生来のマイペースで遅々として進みませんが
自分なりに浄化をしています(笑)
きっとこの先には心軽く楽しい人生があると信じて
います。

2011年TUTAYAコミュが閉鎖されるのに伴いこちらのブログに移行します。
愛、恋愛などをテーマに観念浄化ワークと絡めブログアップします。

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