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情熱の愛


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』

なんだかんだ言っても"好き"は止められないのです。
何故、その人の事が好きなのか解明しても『ああ、そうなの?』と思うだけでそれ以上の感慨は浮かびません。

"好き"なだけで"愛"では無いと言われても、"好き"は変わりません。
心の奥から湧き出る想いを静めるには"好き"な相手と共にいることですが、一緒にいるとドキドキが止まらないのです。安心と一緒に胸が高鳴り、もう気分は支離滅裂です。

"依存"だと言われてもずっと傍に居たいし、"甘え"だと言われても自分の気持ちを分かってもらいたいのです。

抱き合って一つになりたい気持ちはお互いに触れ合えば更に盛り上がり、"好き"の気持ちをどういうふうに表したら良いのか分からずにあま噛みしたり、手を握り合ったりします。
相手の暖かさが感じられなければ悲しいし切ないし寂しいし、たまりません。
気持ちが静まるまでずっとそうしたいと思っていても、いくらハグしていてもいつまでたっても静まらないものなのです。

お互いに抱き合って眠りたい、お互いに見詰め合って伝えたい、お互いに触れ合って感じたい"好き"という気持ち。
情熱は冷めるものだなんて言われても、自分の気持ちは変わりません。
愛は許し合うものだなんて言われても、相手の何を許せないのか判りません。
時間が経てば飽きるものだなんて言われても、今はただ一緒にいたいだけなのです。

情熱の"好き"がいつ情熱の"愛"に変わるのか自分にさえ判らない程、情熱に燃えて"好き"でいられるのが恋なのです。
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2011/11/30 (Wed) 06:56 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛の道徳に生きて


『愛無くして生きる価値なく、愛無くして活きる力なし』

人は"幸せ"になるために生きているのです。
誰にも等しくこの権利があり、行使する権利を保障されています。

"幸せ"になる前提に暗黙の了解として愛が必要と言う言葉があります。
愛をベースにしていない幸せは有り得ないのです。
愛無く幸せを築こうとしても砂上の楼閣にしかなりません。

みんなの幸せを築こうとすることを"道徳"と言います。学校で子供達に教えられている道徳といわれているものは社会のルールでしかありません。
『迷惑を掛けないようにしよう』という標語は道徳でなくて人として社会で生きる為のルールです。

愛を抱いて"幸せ"を求める行動をすることで"あなたもわたしもハッピー"な社会が実現するのです。

道徳という行動指針が無いため、今の日本はとことん自己中心的です。すべての行動は自分の為になります。してはいけない事を事細かにルール化してやらないと自発的に行動出来ない人が増えているのです。

キリスト教という行動指針のあるアメリカ合衆国は個人主義でありながら、優しさも合わせ持っています。異なる人種も受け入れる一方でプエルトリコやユダヤを排斥します。

中華思想という唯物論の国中国は個人主義であり徹底したリアリストの国です。信じるものは己のみ、他者の見方など気にも留めません。だからフェイクなのです。

道徳は愛に満ちた生き方を教えてくれるもの、愛を活かす行動指針なのです。
2011/11/28 (Mon) 12:48 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛のイニシエーション


誰も"愛の秘密儀式(イニシエーション)"の本質を教えません。

体験しないと実感が持てないからです。あらかじめ知識を得ていたとしても半信半疑となるからと判っているからかも知れません。

How-to本には乗って載っているのかも知れませんが、秘匿しておくのが良いと古来から判断されて来たのかも知れません。

人の体に宿る"命"とはとても不思議なものです。
肉体に熱を与え動きを支えまず。"命"が無いと動きません。自動的に動くものは機械と呼ばれ生物とは言いません。生物は数ミクロンから数百メートルまで存在し、その種別は何十億とあります。病気を引き起こすウィルスは疑似生命機械です。単なる反復動作の連なりの反応系です。

世界に"命"が溢れています。いえ、"命"の中に世界があり、"命"に濃淡があるだけなのです。"命"の濃いところは活発に動きますが、"命"の希薄なところでは動く事が出来ないだけなのです。

"愛の秘密儀式"で"命"を受け渡しています。

お互いに受け渡し合う"愛の秘密儀式"をSOX(そっくすではない)と言います。

お互いに受け渡しているだけでなく、"命"の種たる"せいし""らんし"に"命"を分け与えて、放出しているのです。

だから、"愛の秘密儀式"の後に強烈な疲れが襲って来るのです。

ひとりエッチをした時の"命"は拡散して自然に帰ります。ひとりエッチはいけない事をしている訳ではありません。濃度の高くなりすぎた"命"を自然に帰しているとも言えます。

誰も"愛の秘密儀式"の本質を語りたがりません。
その疲労の原因に言及したく無いからです。
2011/11/26 (Sat) 19:26 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

肉愛


『焼肉はロースだよね』って言う肉に対する愛の事ではありません。
『エッチは一日も欠かしたくないよね』って言うエッチに対する愛の事でもありません。
精神的愛に対する肉体的愛の事です。

愛を探した時探し当てた物に意味を見出だせば"愛"を感じる事ができます。
対象が何であれ、自分の為に起きた出来事と意味付けたなら自分の中にある"愛"が目を覚まし、同じものであると強震するのです。

肉体に向ける"愛"は"感謝"という"愛"でしょう。

肉体には脳や神経や胃や肝臓や腎臓などの内蔵と血管や筋肉や皮膚やリンパ管など沢山の器官があります。
肉体の各部分は低次元な意識を持っていて、"状態"の連絡を相互に行っています。トータルなコントロールは小脳が司り、指示を出しているのです。大きな不具合については大脳に指示を仰ぎますが、瑣末なルーチンワークは自律的に処理されます。

肉体の各部分は意識はあれどホメオスタシスな処理はしても"判断"は出来ないという事です。

肉体というものは機能していて当たり前と思い勝ちですし、不具合が発生したら病気というシグナルで教えてくれるなどと高をくくるのはあまりよろしくありません。

普段意識しない肉体の各部位ですが、意識することで意識エネルギーが補充され、活動が円滑になります。
寝る前、起きた直後に肉体の各部分のチェックを行うだけでも随分と違います。
できれば『いつも無償で働いてくれてありがとう、気に留めなくてごめんね、元気に働いてくれていて嬉しい、感謝しています』なんて声掛け出来たらベストです。

肉体あっての精神です。
健全なる肉体に健全なる精神が宿ると言われるのは間違いありません。
2011/11/24 (Thu) 12:04 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

宇宙愛


人と人が解り合い、愛を育む時、特定の誰かだけを愛するのではなく、人類全てに対する愛に昇華する事が起きます。

人類愛と言われるが、とても複雑でなものです。数量単位で意味が異なるのです。
家族レベルは家族間のそれぞれの愛を確認承認するもの。
地域レベルは古くからある因習や習わしなどを超えて解り合うもの。
国家レベルはその国の風俗歴史を含めた相互理解を必要とするもの。
地球レベルの前に、地域国家間の争いを俯瞰的に理解し合う地域国家間レベルのもの。
地球レベルは地域国家間の文化の違いを超えて新たなる境地の地球統一の意識にあるもの。だから人類愛です。

国家間の恨み(ハン)や恩讐(ルサンチマン)を乗り越えるには相当のエネルギーが必要となるに違いないでしょう。とは言え、基本は何の因果関係も無い個人間の相互理解が必要なのです。

輪廻転生システムが鍵です。

人は生きている間に様々な感情を味わうが、感情が未昇華のまま肉体を失うと感情エネルギーが鬱積して時代の恨みや恩讐として残ってしまうのです。個人レベルで収まらない感情というものもあるのです。

過去に生きた人生の過去世に残した感情のエネルギーを昇華して、過去世のデータに落とし込めれば、恨みや恩讐は消えて行きます。
輪廻転生システムで過去世の残した感情のエネルギー、詰まりカルマを昇華または浄化する事で、個人レベルを超えた国家間のカルマを昇華または浄化出来るのです。

カルマの昇華または浄化には愛が必要です。
とびっきり上質の愛、最上に純粋な愛である"慈愛"です。
如何なる恨みや恩讐ですら溶かし暖かなものに変えてしまう愛です。

"慈愛"は優しさで出来ています。
"慈愛"は温もりで出来ています。
"慈愛"は慈しみで出来ています。慈しみとは自分を含めて命の尊さを心で支える事です。


"慈愛"に地球が包まれた時、"宇宙愛"が生まれるでしょう。
2011/11/22 (Tue) 07:17 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

自然愛


愛は教えられ無くとも、自然に分かるものだ。
そう思っている人のなんと多いことか。

愛は学ぶものです。
自然に最初から身についている"自然愛"の様なものはありません。

母親が生まれたての赤ん坊に注ぐものは"自然愛"ではありません。自分の分身に対する愛着です。
愛着とは自分自身に対する分離を拒否する感情です。
詰まり、母親にとって赤ん坊はもう一人の自分なのです。

では愛はどう学ぶと言うのでしょうか。
愛は親の行動を見て学びます。
親のすることは全て愛情として赤ん坊は受け取るのです。

優しくされれば優しさが愛です。

細やかに面倒を見てもらえば細やかな面倒が愛です。

素っ気ない扱いをされれば素っ気ない扱いが愛です。

嫌々扱われれば嫌々扱うのが愛です。

親からの対処が赤ん坊にとって何でも愛として記憶してしまう、刷り込みが愛を産むのです。
繰り返し繰り返し自分の愛を試して修正してゆくのです。
自分の愛を認められるまで愛になるまで繰り返し繰り返しです。

自然愛なんてありません。愛は鍛えられ、変わって行く事で成長するのです。
2011/11/19 (Sat) 23:20 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

M愛


究極の恋愛とは何でしょうか。
女性の場合は少女漫画のような逆境を乗り越えて乗り越えて成就する恋愛なのでしょうか。
男性の場合は恋愛に関してさほど物語を持ってはいないようですが、複数の女性の中から一人をチョイスするような恋愛漫画が多いような気がします。

究極の恋愛に必要な"愛"は一途である事に尽きるようです。
どんな困難があろうと、逆境であろうと、迷おうと信じた"愛"に準じるのです。

漫画の場合そんな主人公に思い入れしてハラハラドキドキして、応援して、キラキラと瞳を輝かせてしまうのでしょう。そんな物語に憧れる訳です。

人は生まれて来る前に自分の人生設計を計画してきます。
人生のターニングポイントにおける様々な可能性を吟味して下準備をし、霊的近親者に協力助力を依頼してこの世に生まれ出るのです。

例えば両親です。こんな親の元に生まれて来たく無かった!と衝突する度に思うかも知れませんが、そんな衝突もしたくて、する可能性を知っていて生まれて来ます。

例えば恋人若しくは結婚相手です。少なくても三人くらいは可能性として出会いを仕組んでいると言われています。誰とどんな出会いをして決断するのかを選ぶだけです。

例えば子供達です。男の子なのか女の子なのか、何人にするのか、あらかじめお願いしてあるのだから子供を設ける覚悟と努力をするだけなのです。自分の生き方の写し絵となる子供達は何の躊躇いもなくこの世に生まれ出ます。

究極の恋愛に必要な"愛"はM愛です。
自分で困難や苦難を乗り越える愛を求めているのですから。
超強力な難敵すら打ち破る力が必要なのですから。

M愛の"M"はマゾではありません。
メガの"M"です。
2011/11/17 (Thu) 13:08 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛の為にできること


『愛の為に死ねる』など言うのは愛について知らないからです。
既に矛盾しています。
愛するには生きていなければ出来ません。肉体を持っての愛が最高の喜びをもたらすのです。
肉体なしの愛は"想いが即実現する世界"では価値が半減します。
肉体を通しているからこそ、"想いが即実現しない世界"で価値が上がるのです。

『愛の為に全てをなげうつ覚悟がある』など言うのは愛について知らないからです。
なげうつものあっての愛ですから、なげうっては愛が成り立ちません。
愛は愛だけでは成立しないのです。
愛する相手にとってあなたの全てはあなたを修飾するものです。あなたを修飾するものが無くなったらあなたはあなたを特定出来ず、愛の対象で無くなるでしょう。


『愛の為に』出来る事などありません。
『愛の為に』何かする事などありません。

むしろ、愛に繋がる想いを強く持つ事です。
愛を制限しないことです。
愛の仕分をしないことです。

なおのこと、愛について考えて下さい。
自分の愛とは何なのか想いを馳せて下さい。

『愛の為に』何か出来たとしたらそれだけです。
2011/11/15 (Tue) 13:57 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愚直の愛


愛は"素直さの度合い"でその愛の強さが決まります。
愛の強さとはエネルギー供給量であり、人と人が結び付いている(リレーション)強さです。

人の幸福度は人と人が結び付いている(リレーション)強さに比例し、愛のエネルギー供給量に比例し、心の不自由さに反比例します。

心の不自由さとは他人の言動を許さない狭量さの事です。心が広い事は自由であることです。心が自由であることは愛のエネルギーが沢山通り抜けられるという事です。

愛のエネルギーは人と人が結び付く力を呼び起こします。人と人が結び付いている(リレーション)強さが生まれるのです。

人が幸福で満ちている時幸福度MAXであり、他人の言動を許容出来る心の自由度も大きく心が広くなっているのです。
この時"素直さの度合い"もMAXとなり、愛のエネルギーもMAXとなり、愛に満ち溢れた状態です。

お互いに開かれた心で"素直さの度合い"を上げる事で愛を感得出来るのです。要らぬ思い込みを捨てて素直に生きる時あなたは愛に生きれるでしょう。


これを"愚直の愛"と言います。
2011/11/13 (Sun) 08:37 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

禁断の愛


愛には禁止されたものはありません。
たとえ人道的に道徳的に社会的に背いていると言われている愛であってもです。

浮気という行為があります。愛があるなら有り得ない行為です。
愛が無くなったから浮気が起きるのでしょうか。
いいえ、愛はもとから無かっただけの事です。

私たち人間の愛は"ギブアンドテイク"の愛です。
条件が無ければ成り立たない愛なのです。口では否定していても深いところで認めているから"無償の愛"に惹かれたりするのです。

条件とは"与えられること"です。愛には愛が必要という等価交換ではありません。"与えられる"人が価値を見出だすかいなかです。
お金、地位、名誉などこの世の価値で評価する人。
いたわり、優しさ、気遣いなど心の触れ合いで評価する人。
対象は異なっても"与えられること"で反応しているのに違いはないのです。

条件がクリアされてしまえば相手への興味を失い"浮気"という行為に走ることになるのです。

"無償"の愛は手に入らないのでしょうか。
いえ、近づく事は可能です。"ギブアンドテイク"の愛をやめる事です。

それは人間にとっては"禁断の愛"かも知れません。""崖に輝く手の届かない愛"かも知れません。
2011/11/11 (Fri) 12:34 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

信じる愛に近づく方法


言葉では『愛している』と言っていても相手を信じられなくては愛しているとは言えないと思って苦しんでいませんか。
『愛している』のは嘘ではないのに、どうしても疑いの想いが沸いて出てくるのは当然なのです。
愛している相手が愛に応えてくれなく思えるなら『自分を愛しているのだろうか』と思うのは当然なのです。
沸き上がる想いを押さえ付けて『疑うのは愛していないから』と無理をするのが一番いけない事です。
自分の想いに素直であることが大切です。自分が正しいと思う事でなく"自分の想い"を受け入れる事が出来なくては真の愛に近づけません。

"疑いの芽"を摘むには愛している相手に自分の想いを伝えましょう。
自分は相手のこういうところが大好きで、こういう風に想っていて、こんなにも愛しているから、こんなように応えて貰いたいと思っている。こんなふうにして貰いたいと思っている。
きちんと心を向かい合わせてお互いの想いを晒しましょう。
話し合う事が疑いの芽を摘む一番の方法なのです。

愛している相手に自分の想いを伝える勇気が持てないのも当然です。
お互いが想いを晒(さら)し合ったら愛しているのに離れ離れになる話になってしまうかも知れないと恐れてしまうのも当然です。
自分は相手を愛しているのに相手は自分から心が離れてしまっているから自分の想いに応えてくれないんだと判ってしまうのが怖いのは当然です。

愛している相手と向き合い素直に心を晒(さら)せないなら自分の想いを変えましょう。押さえ付けるのではなく想いの方向を変えるのです。
『愛しているからこうしてあげたけどありがとうの感謝の言葉もない、自分を愛しているのだろうか』という想いが沸いて来たら『愛しているからこうしてあげたけどありがとうの感謝の言葉もない、自分はちゃんと愛しているのだろうか』と変えるのです。
相手の愛を疑うのではなく自分の愛の想いを疑うのです。
愛は無償だと言います。
愛して貰いたいから愛する"愛"から脱却するチャンスにするのです。
苦しいと思います。自分の心と向き合う事になるからです。

もしかしたら自分は本当に愛していないのかも知れない。
もしかしたら自分は寂しくて相手に縋(すが)り付いているだけかも知れない。
もしかしたら自分は相手にとってウザイ厄介な存在なのかも知れない。
こうした想いに翻弄(ほんろう)される事でしょう。
自分の心が揺れて激しく軋(きし)み痛む時は"愛"にフォーラムしましょう。好きな相手への愛ではなくて"自分への愛"にフォーカスするのです。心の中心に意識を持って行くのです。安定したところで自分の心と向き合い直しましょう。

自分の心と向き合い勇気も持てないなら言葉を変えましょう。『愛してる』から『愛したい』と変えましょう。『愛している』という断定から『愛したい』という望みに変えましょう。
自分が相手を愛していると断定しているから相手からの愛求めてしまいます。
自分が相手を愛したいという努力目標とすることで愛し切れない自分を許容出来ます。
大好きな相手を愛したい、ちゃんとした愛で包みたいという愛の途上であれば相手からの愛のお返しが足りないのは当然ではないでしょうか。
お互いが愛の途上であれば試行錯誤の上での愛の交歓になるのが当然と受け入れられるのではないでしょうか。
2011/11/09 (Wed) 07:49 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

揺るぎない愛


愛はふらつくものです。

昨日はベタベタしたいほど好きだったのに今日は何だか一人になりたい気分。
嫌いじゃないけど昨日ほどの熱意がどこかに行ってしまった。
一日の内でも心はふらふらしている。
相手の態度で心が揺れます。自分でもどうにもならない、じれったさを感じてしまいます。

だからこそ揺るぎない愛を求めたくなります。
愛って揺るぎないものじゃあないのかと想うから。
相手を本当に愛しているのだろうかと不安になるから。
もしかして自分の愛は本物でなくて偽物なのかも知れないと疑いたくなるから。

この世に揺るぎない愛を持つ人間はいません。誰もが内心の不安と戦っています。
この世には不安の無い心を持つ人間はいません。誰もが内心の疑いと戦っています。

揺るぎない愛を持つ存在は神というものだけです。

しかしながら、揺るぎない愛に近づいた愛を得る方法はあります。
それは神を信仰して生きることではなくて、心の内にある不要な思い込みを棄てることです。
それは心の内にある揺るぎない愛を探すことでもあります。
それは心の内にある不安の種を取り除くことでもあります。
それは心の内にある記憶の仕舞い方を見直すことでもあります。
それは心の内にある自分の在り方を確認することでもあります。

揺るぎない愛は揺るぎない心から生まれて来るものなのです。
2011/11/07 (Mon) 08:57 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛で生きる


愛に魅力を感じない人が増えています。
愛という言葉に照れている訳でなく、愛に関心を持たないのです。

"愛など要らない"ならまだしも"愛などない"と言い出す始末です。

愛が空気のようにあるからでしょうか。愛を意識しない人は空気を意識しない人と同じで有り難く思わないのでしょう。

誰が何と言おうと愛があり、愛なくして生きる事は何人、何者も有り得ません。
愛は人をこの世に召喚する力です。
女性の持つ創造の力です。
人は愛によって生まれ生かされているのです。

愛のエネルギーが人を生かしていると言われてもピンと来ないかも知れません。
愛のエネルギーがあれば人に優しく接したり、暖かい目で許したり、思いやりのある見方が出来るのです。
優しい言葉や思いやりのある行為が人生に喜びを与え、やる気と力を呼び起こすのです。
愛のない無味乾燥な人生では機械仕掛けのマネキンのように意味を見出だせない人生となるでしょう。

人は愛で生きています。
2011/11/05 (Sat) 20:22 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

無欲な愛


『こんなにも愛してるのにどうして愛して貰えないのだろう』と思うのは本当に愛していないからでしょうか。
愛して欲しいという欲望は消せるものではありません。愛して貰う事はいけない事なのでしょうか。
愛と欲望は相容れないものというのは真実なのでしょうか。

人の愛とは自我の愛です。自我で歪んだ愛だと言えるのです。自我は欲望の別名でもあります。
真の愛とは無償の愛です。純粋な混じり気ない愛そのものです。無償の愛は神の別名でもあります。

欲望とは自我が存在する限り存在するものです。
欲望を小さくすることは出来ます。
自我を小さくするには自我を構成する記憶や思い込みを少なくすることです。
記憶を少なくするには気を回す事を少なくすることです。
思い込みを少なくするには思い込みに気づいて捨てるだけです。

自我を小さくして行く事は神に帰って行く事です。
欲望を小さくして行く事は無償の愛に帰って行く事です。

それは
無欲な愛を得る事です。
2011/11/03 (Thu) 10:14 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛があれば歳の差なんて


愛は歳の差を埋める事が出来ません。
愛は気持ちを伝えられないのです。
愛は二人を繋ぐ力かも知れませんが、歳の差による意識の違いを橋渡し出来ないのです。

歳の差が生み出すものは"認識の違い"です。
価値観の違いは歳が離れていなくても常に人には付いて回るものです。俗に言う"世代間格差(ギャップ)"というものです。
初めの内はそれが面白く感じられて興味を引かれるのでしょう。お互いが『大事にされている特別な存在』という誤解を経て『好き』になり、そのまま深層に隠れている依存に気づかないまま結婚しているのです。

"漠然とした寂寥感""漫然とした不安感"を解消満足させてくれるという誤解を持って共依存関係となった場合、常に相手から愛(満足)を得られないから不満を募らせ離婚に至るのです。
歳の差を埋めるものは愛ではなくて"依存の力"か"お金の力"です。
どれだけ相手から"依存の力"を引き出せるかで不満を解消できるかが決まります。
どれだけ相手から"お金の力"を引き出せるかで不満を満たせるかが決まります。

芸能界では歳の差婚が流行っているそうですが、離婚歴のある人程歳の差婚となる事が多いようです。
相手に不満を抱かせて離婚、相手に幻想を抱いて結婚を繰り返すのでしょう。離婚をしないで済ませているのは体裁のせいでしょうか。

歳の差による意識の違いを共依存にならずに埋めるたった一つの方法があります。
お互いに真に尊重し合う事です。
相手を束縛しない
相手を強制しない
自分の都合を優先しない
自分の意見を優先しない

愛も大切ですが、歳の差婚ではどうあるかという"生き方"がもっと大切になって来るのです。
2011/11/01 (Tue) 10:40 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

プロフィール

きゅうとす

Author:きゅうとす
KIN214
白い律動の魔法使い White Rhythmic Wizard
ドリームスペル「青い共振の嵐」の年 律動の月16日(月)

2007・7より観念浄化を始めました。
生来のマイペースで遅々として進みませんが
自分なりに浄化をしています(笑)
きっとこの先には心軽く楽しい人生があると信じて
います。

2011年TUTAYAコミュが閉鎖されるのに伴いこちらのブログに移行します。
愛、恋愛などをテーマに観念浄化ワークと絡めブログアップします。

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