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愛を勝ち取れ


恋人は待っていても出来るものではありません。
沢山の人の中で最も心引かれる人となれるものです。
あなたの好きな相手はあなた以外のライバルからも愛を得ていて、あなたの今の愛では好きな相手の愛を勝ち取れません。

沢山のプレゼントをすれば良いのでしょうか。
洋服に靴に鞄、貰った時は喜んでくれるでしょうが度々受け取っていれば飽きられて効果は薄くなるでしょう。

ピンチの時に助ければ良いのでしょうか。
相手のピンチがいつ、何処で、どんな風に訪れるのかわからないからいつも一緒にいるという訳にもいきません。それに自分にも荷が重いピンチかもしれません。

癒しの相手になれば良いのでしょうか。
ヒーリングやマッサージの資格を取って癒しを与えられれば良いのでしょうか。だとしたらマッサージ師やヒーラーには愛が溢れていることになってしまいます。

話相手なってカウンセリングして、励ましてあげれば良いのでしょうか。
確かに直接力になれて満足してもらえそうですが、こちらに不満が残りそうです。


愛の価値とは寄り添い見守る事にあります。
何かをしたから愛されるという事はないのです。

愛を勝ち取るには好きな相手の愛に応える事ではありません。
自分の好きな相手の愛にシンクロすることです。

それが誰にも負けない愛の在り方です。
愛を勝ち取る方法なのです。
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2011/09/30 (Fri) 22:17 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛の望み


愛は願っています、世界に平和が訪れることを。
愛は望んでいます、人々の心の内に愛の光が灯ることを。
争いやいさかいが無くなり、暴力や妄言が無くなり、悲しみや辛さが消えることを待っているのです。
今は喧嘩別れしていても明日は仲良く談笑している筈と信じているのです。

愛は戦争や喧嘩や意地悪や妬みや恨みなどのネガティブを否定しません。ただ、その状態を早く過ぎて愛のなかに戻って来て欲しいだけなのです。愛の光を抱いていてほしいだけなのです。

愛は人間の中だけにあります。人間以外の中にあるのは愛と呼ばれていないからです。
どんな人の中にも愛はあります。極悪人と言われる人の中にも愛はあるのです。この世に人として生まれたなら愛を抱いて生まれて来るからです。"良心"と呼ぶ人もいます。
愛は全ての人の心に愛の光を灯される日を夢見ています。
愛の光は人から人へ愛が繋がる事で灯されます。
"自覚"で灯される事は滅多にありません。
"自覚"で灯される愛の光はひときわ違う色で輝きます。
"自覚"で灯される愛の光はひときわ高く掲げられます。
沢山の人達を引き付け、愛の光のネットワークを創るのです。
地球という星が愛の光のネットワークで輝く様を愛は待ち望んでいるのです。

闇のネットワークがあると思うのは間違いです。悪はウィルスのようなものでそれぞれ勝手に感染します。特に強力な悪が一部の悪を掌握し、協調しているように見える事はありますが悪に協調はありません。媚びへつらう事や不服ながら服従し、チャンスあらば自分が取って代わろうとしているだけなのです。

闇は光の当たらないところではありません。愛の光が灯っていない人の心の中なのです。

愛は全ての人の心に愛の光が灯る時を人が生まれた時からずっと待っているのです。
愛は全ての人の心に愛の光が灯ることを信じているのです。
2011/09/28 (Wed) 07:15 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

あなたはパートナーに愛されていない


あなたはパートナーに愛されていますか。

答えに詰まる様なら、あなたは自分を愛していないのです。
自分を愛せない人は誰かに愛される事など有り得ないのです。

何故あなたは自分を愛せていないのか考えた事はありますか。考えた事など無いかも知れませんね。

ひとつに、あなたは誤解しているから自分を愛せないのです。何を誤解しているのでしょうか。

あなたの誤解とはあなたの愛が完全なものだと思っている事です。

無償の愛は何処までも無償で限度がないと思っていませんか。
愛のエネルギーは無限で尽きるはずがないと思っていませんか。
愛の許容度に限度がなく如何なる愛でも受け入れるものが愛だと思っていませんか。


確かに愛は愛として過不足無く愛で有る限り完全です。しかしその愛が人の概念として人に宿った時不完全な愛に成り果てるのです。

無償の愛はギブアンドテイクの愛に。
無限エネルギーの愛は限りある愛に。
許容の愛は受け入れがたい拒否の愛に。

愛を変質をする媒体は人の自我です。愛を制限する自我のお陰で私達は自分を制限しています。
制限された愛を制限されていないと誤解することで自分を諌めます。

条件を満たさないと愛せない自分が許せません。
いつも愛しつづけて行けない自分が許せません。
愛と認められない愛を自分が認められないのが許せません。
自分を許せないとは自分を愛せないという事です。
根本から自分を愛せていないのに無視して誰かを愛そうとしているのです。

いえ、愛している幻想を抱いているのです。
幻想での愛は幻想でしかありません。
だから、あなたはパートナーに愛されていないのです。愛されている幻想を抱いているだけなのです。
2011/09/26 (Mon) 10:31 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

欲望に負ける愛


愛は何物にも負けないと思っていますか。

怒りは"くすぐり"に負けます。どんなに怒っていても腋の下をくすぐられて怒ったままでは居られません。

悲しみは"バカらしい踊り"に負けます。どんなに悲しくても笑える事は凍えた心を溶かしてくれます。

痛みは"快楽"に負けます。肉体を通じた肉体の喜びは心の痛みを癒す事ができるのです。

愛を感じるのは快楽に対する欲望が生まれるからです。
欲望は肉体が生み出します。本能と呼ばれていた欲望は自分に不快を与える刺激を嫌う事、敵対することを心に要求します。
刺激が弱すぎては無視出来ますが過度の刺激からは肉体の破壊を免れないからです。
育てた欲望は心に浮かぶ想いを偏向させます。
たとえ愛の想いであってもです。

愛も欲望に負ける事があるのです。
無償の愛は代償要求の欲望に負けます。無償性が純粋で無邪気であればあるほど、真綿が水を吸収するように欲望を吸着して負けてしまいます。無償がギブアンドテイクの愛に化けてしまうのです。
2011/09/24 (Sat) 21:28 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛の質感(クオリア)


愛の質感を知っていますか。

愛には濃淡があります。

淡い愛には優しさがあります。ひそやかな微笑みがあります。
濃い愛には激しさがあります。晴れやかな笑いがあります。

愛には触感があります。

ざらざらした愛には心の乾きがあります。もっと深い関係を持ちたい気持ちが表れています。
ねっとりした愛には心に執着があります。もっと深い欲望を満たしたい気持ちが表れています。

愛には硬度があります。

艶やかに柔らかい愛にはいたわりの気持ちがあります。弾力が若さを思わせます。
キラキラ光を反射する硬い愛には強い意志の煌めきがあります。何事にも負けない直情を感じさせます。

愛には輝きがあります。

強い白銀の輝きは信念の愛があります。どんな困難にも打ち勝つ責任感の光です。
燃え上がる灼熱の赤の輝きは情熱の愛があります。全身全霊の烈しい喜びの光です。

愛には質感があります。
濃淡、触感、硬度、輝き・・・
顕れる行動の裏に感じられる愛という質感、それを人は実感するのです。
そして
愛という不確かに思えるものが確かに存在するのだと認識するのです。
2011/09/22 (Thu) 07:05 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛すればこそ


愛すればこそ、してしまうことがあります。

"好き"だから一緒に居たいという気持ちが"一緒に居なければならない"という思い込みに擦り変わるのでしょうか。相手にからは纏わり付かれているように思われてしまいます。

"好き"だから相手を知りたいという気持ちが"一緒の考えを持たなければいけない"という思い込みに擦り変わるのでしょうか。相手からは詮索されているように思われてしまいます。

"好き"だから理想どうりであって欲しいという気持ちが"駄目なところを直してあげなくてはいけない"という思い込みに変わるのでしょうか。面倒みが良いのを通り越して相手からはガミガミうるさく言われているように思われてしまいます。

"好き"という気持ちと供に、"好きになって欲しい"という気持ちも芽生えます。不安というアンバランスが聞かなければ心が休まらないという思い込みになるのでしょうか。自分の事好きかどうかいつも口にしてしまうから相手からはうざいと思われてしまいます。

愛すればこそ好きという事を大事にしなければなりません。好きが思い込みによって歪んでしまわないように自分の心を良く見ることです。

愛すればこそ相手の気持ちを大事にしなければなりません。自分の価値観の押し付けになれば相手の気持ちは離れるばかりです。
2011/09/20 (Tue) 20:59 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛を確認


愛は言葉で表すのが大変難しいものです。

『愛は存在の全肯定です』

『愛は優しく思いやりいたわる事です。』

『愛は許し認め受け入れる事です。』


他にも色々な言い方で愛を表せるものと思いますが、愛を確認する為にも言葉で言う必要があるでしょう。
愛していますと気軽に言う人程、愛の本質を解っていません。ただ好きなだけが愛ではなく愛の入口でしかありません。

愛は行動です。
真実愛していればいざという時に行動に出ます。愛している相手を守る行動に出ます。

愛は感情です。
激しくもあり、静かでもあり、滔々と流れているものでもあり、大海のようでもあります。

愛は全てを満たすエネルギーです。
宇宙に充満しています。心の内から溢れだしたりもします。無機質の中にも静謐の存在としてあったりします。

愛を言葉で確認することで愛に意識が行き、愛を再認識出来ます。
愛を意識することで愛を心の内に満たし、愛として生きていられるのです。

普段私達は愛を余り意識しません。外のくるくる変わる環境に振り回されて心を疲弊させています。
擦り減る心は愛で回復しても同じように擦り減る癖が付くとなかなか回復しません。
だから、出来るだけ擦り減ったら小まめに回復しないといけないのです。
それには愛を言葉で確認するのがいちばんです。簡単に心を愛で満たせるからです。
2011/09/18 (Sun) 10:16 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛の真実


愛には隠された真実があります。

大事な真実は隠されているという事です。

一見愛には程遠い事の方が深い愛を示していることもあります。

最初に触れる愛はなんでしょうか。親からの愛です。
大人になれたという事は親から何らかの愛を得てきたという事です。

暴力を愛として育ったのかも知れません。親の都合、気分で躾られたのですが真の自分も愛を知るために了解済みの事です。

放置を愛として育ったのかも知れません。子育てとして親は自由に伸び伸びさせているつもりかも知れませんが、スキンシップが少なくなるのを真の自分は了解済みなのです。

お金を愛として育ったのかも知れません。欲しいものは何でも与える事で喜ばせようとして心が置き去りになることを真の自分は了解していたのです。

甘やかしを愛として育てられたのかも知れません。何でも思う通りに叶えて貰え、親の愛情一杯に不足ないのは真の自分の思惑道理なのです。

厳しさを愛として育ったのかも知れません。勧善懲悪が何より優先する主義の人間を親として選んで生まれて来る事を真の自分が選んだのです。

優柔不断を愛として育ったのかも知れません。長いものには巻かれよというのを処世術として心を決め付けず柔らかに保つ事を学ぶ為に真の自分が了解しているのです。

いずれの事にせよ、自分の受け取る予定の愛を得てきたのです。
愛の真実を真なる自分は知っていますからどんな愛も愛であることを知っています。
この世を必死に生きている自分には理不尽だと思える事すらも当然の事として真の自分は理解しているのです。
受け入れられないのも当然です。その時に理解するのが難しいように自分で自分の心を調整しているのです。ギャップが大きければ大きい程愛の感動が大きいのだと知っているのです。
2011/09/16 (Fri) 01:11 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

とびきりの愛


愛することで幸せを感じる事が出来ます。
相思相愛で愛し愛される喜びに勝るものはないと誰もが思います。
でも、愛に物足りなさを感じたりします。ゆったり満ち足りた愛に抱かれながら心が渇いたりするのです。愛に勝る愛を求めたがったりするのです。

愛に満たせない心があります。砂漠の渇きに似た渇きを持つ心があります。
底無しの心というよりもザルのように穴が空いている心です。

心は無辺ですが愛も無限です。
与えられた愛のみ意識していると、満たされて行く感覚と空疎な部分を感じる感覚にズレが生じます。
そのズレを虚無感といいます。

愛はなぜ愛と感じられるか知っていますか。
林檎と言われて赤くてちょっと堅めのみずみずしい果物を思い浮かべられるのは"林檎"を"〓"と知っている、詰まりイメージを心の中に持っているからです。
愛も同じです。
愛無く育てられた赤ちゃんは子供位までしか育ちません。大人にならずにしんでしまうのです。
大人になれたという事は何らかの愛を得てきたという事です。
暴力を愛と勘違いして育ったのかも知れません。
無視されるのを愛と勘違いして育ったのかも知れません。
お金を愛と勘違いして育ったのかも知れません。
甘やかしを愛と勘違いして育ったのかも知れません。厳しさを愛と勘違いして育ったのかも知れません。
優柔不断を愛と勘違いして育ったのかも知れません。
いずれにせよ、自分の受け取れる愛を得てきたのです。
愛の真実を真なる自分は知っていますからこのような勘違いの愛も愛であることを知っています。

外から与えられる愛に呼応して内なる愛が震える事で愛を感じます。
外から与えられる愛はきっかけに過ぎません。きっかけにしか過ぎない愛ばかり求めたら無限のエネルギーですら供給に遅さを感じてしまいます。

内なる愛に意識を向けましょう。
自分の内にある愛を見つけられれば無限の大きさを感じられるでしょう。
自分の無辺の心に広がる無限の愛は始めからそこにあるからズレなど感じる筈がありません。

内なる愛を見つけたら誰もが"とびきりの愛"と判るでしょう。
2011/09/14 (Wed) 07:15 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

甘い愛


なぜ自分に厳しい人と自分に甘い人がいるのでしょうか。

自分に厳しい人は"まだまだ駄目な人間"なように自分が見えます。
自分に甘い人は自分は"充分立派な人間"と考えているのでしょうか。

その認識の違いは小さい時の回りの人達との係わり合いによるのです。

充分に甘やかされた人は甘やかされる事の喜びを知っています。甘やかされる事の意味を知っているのです。
甘える事は愛に浸る事です。
全身で愛を感じる事なのです。
甘える事で愛を感じる事を学ぶのです。

親から厳しく躾られた人は決して甘える事はありません。甘える事を知らないのです。甘える意味を知らないのです。
自分に厳しく他人にも厳しく当たってしまいます。
愛があることは知って居ても愛をどう見つけて良いのか判りません。愛が厳しさの彼方にあるものと勘違いしています。

"足りない"自分は甘える事を自分に許さないのです。"足りない"自分は甘えてはいけないと教えられてしまったからです。

なぜ、親は我が子を甘やかさないのでしょうか。厳しく躾ようとするのでしょうか。
甘やかされると努力しなくなる、頑張らなくなると思い込んでいるからです。
深い愛に根差した厳しい躾は必要です。
物事の判別が付かない幼児には必要な事です。そしてそれに見合った甘やかしも必要なのです。
甘やかせる事の恐れを抱いたまま厳しく躾る為に甘やかしが不足するのです。
何の頑張りも努力も出来ないように機会を奪うのは甘やかしではありません。いじめに近いものです。

甘やかすとは相手の望みを無条件で受け入れる事で、甘い愛のことです。
甘やかすのは本人の為です。努力や頑張りに見合う報償や抱擁や代償の甘やかしを与えて良いのです。

甘い愛がたくさんの自分に厳しい人々に必要なのです。
2011/09/12 (Mon) 12:15 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

無償の愛と性欲


無償の愛と性欲には何の関係もありません。

性欲は遺伝子が求める存続の欲求の顕れです。
肉体的なシステムでしか無いのです。

男性の場合精子が基準量創られると精子を受精させる為にホルモンによる情報が発っせられます。
視覚からの情報や下腹部の充血なとにより情報の複合が行われ性欲として意識されます。
トリガーは精子の量ですが意思が性欲を呼び起こす事や性欲が意思を圧倒することがあります。

性欲の解放方法として自慰行為やS○X(ソックスでは無い)があります。
遺伝子が肉体のシステムとして作り出しているのは精子を体外に放出したいという欲求までであり、自慰行為やS○X(ソックスでは無い)は遺伝子によるものでなく人間の文化です。

一方、S○X(ソックスでは無い)に繋がる愛は自我の拡大欲求の一つで心の二次作用です。通常、愛と言われるものです。
この愛は極論すると好ましい異性を支配したいという欲望の顕れと言えます。
文化として継承されて来たS○X(ソックスでは無い)は性欲と出会う事で子孫を創る事に繋がりました。

一方、愛すると相手に触れたい欲求が生まれます。
抱擁(ハグ)や愛撫というものです。快楽を伴う肉体的な接触がS○X(ソックスでは無い)に繋がりました。快楽がS○X(ソックスでは無い)と欲望を持つ愛を結び付けているのです。

欲望を持つ愛とは無償の愛を自我が解釈したものです。自我は何でも欲望(自我の存続欲求)で解釈するのです。だから、無償の愛はS○X(ソックスでは無い)と無関係です。
2011/09/10 (Sat) 08:54 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

好きから愛へ


人を好きになる事は突然に起きます。そう、それは起きて来る事なのです。

好きになる事は"ジェットコースター現象"のように勘違いなのでしょうか。

好きになる前に相手に対する印象を持ちます。好印象を持つのは100%見た目です。
その判断基準は私達が心の中に持つ好ましい異性の姿にあります。
親から言われたあの子と付き合っちゃダメよのイメージや自分に対して利益供与してくれた人のイメージなどから自分が作り出したパターンなのです。敵味方判別システムなのです。

好印象に意味付けという重みを与えられる事で素敵から好きに変化して行きます。
印象判別が無意識の行為で意味付けは顕在意識の行為です。
意味付けは相手に自分に対する好意がある無し関係なく自分の相手への意識の傾斜を説明するために自分にする言い訳事です。

きっかけは自分に微笑んでくれたとか声を掛けてくれたとか誘ってくれたとか自分か相手にとって特別な存在だと思う事が意味付けに繋がるのです。


好きが愛に変わる瞬間が判りますか。

男性の場合"責任"を好きだけでなく意識した時、愛に変わるのだと思います。

女性の場合はどうでしょうか。相手の存在を丸ごと受け入れた時でしょうか。

いずれにせよ、愛に変わる瞬間は意識的に変えていると言えそうです。

好きはコントロール出来ないけれど、愛は意識して生み出しているのです。
2011/09/08 (Thu) 10:42 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

厳しい愛


教育は本来楽しいものです。
教える者、教えられる者どちらにも気づきがあります。
教える者にとっては理解の向上と共に教え方の学びとなります。
教えられる者にとって新しい知見を気づきと共に得られ、感動の一瞬を体感出来ます。

勉強が嫌いというのは理解出来ないから嫌いという場合が多いのです。学校で集合教育を受けると、理解出来ない事もあります。
それを回避するためには"復習"が大事になります。
学んだ事を納得するためにも、間違えた所を正しく覚える為にも必要なのです。

"復習"をする習慣を付けると理解出来ない事が格段に減ります。
勉強嫌いが無くなって行きます。
テスト等は"復習"の大チャンスです。間違えた所は言うにおよばす、しっかり記憶に留める事ができるからです。

昨晩、娘の所に家庭教師が来ました。娘は勉強せずにずっと黙って居たそうです。たまりかねた家庭教師が奥さんに助けを求めたので奥さんも何故黙っているのか、話をしようとしないのかと問い詰めた所、泣き出して勉強どころで無くなってしまったので昨日の勉強は止めて帰って貰ったそうです。
どうやら勉強したくなかったらしくそれを言えずに、責められたので泣いてしまったようです。
勉強したくなかったのは良しとしてもその後の娘の態度はいけませんでした。
私が娘に謝るように言いましたが頑として謝らなかったので、叩きました。そして、泣いている娘を外に出しました。
こんなに頑固になっていた娘もひさしぶりですが、娘を叩いたのもひさしぶりでした。

勉強しなかった事よりも色々と娘の為にやってあげている奥さんの努力を拒否し続けた娘にキレました。

勉強よりもきちんとした受け答えをしようとしない事が一番良くない事であることを話し、娘に"お母さんごめんなさい"を言わせました。


ちょっと厳しい愛でした。
2011/09/06 (Tue) 12:52 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

さあー愛を探しに出かけまょう


さあー愛を探しに出かけましょう

鏡の中のあなたにいつもと違う服を着せ、いつもと違う色合いで、いつもと違う髪型で、出かけましょう。
鏡の中のあなたの心の内に喜びを満たして、愉しさを溢れさせて、ワクワクを持って出かけましょう。


いつもと違うカタチで動きましょう。車は自転車に、自転車は徒歩に、徒歩は散歩に変えていつもと違う道を歩きましょう。
あちらこちらを覗いて、声掛けて行きましょう。
沢山の人と出会い、話をしましょう。

いつもと同じ変わらない想いは自分で作っていて、それが行動に出ます。
でも、行動を意識的に変える事で想いや心は変わります。変えることが出来るのです。

不安の恐れを捨てて、愛に出会いたいならば、愛を見つけに出掛けて行きましょう。
いつだって、あなたの与えるものがあなたの受け取るものですから。
2011/09/03 (Sat) 06:26 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

歳がいもなく愛を


愛に年齢は関係無いと言うけれど、愛することに抵抗はなくても恋愛の結果が見えると躊躇してしまうものです。

恋愛の時にはお互いの生活に干渉は無いけれど、結婚を意図すると悠々自適な自分の生活を脅かされる事を恐れます。

二十歳前後までの恋愛ならお遊びで深刻さなく楽しめますが、年齢を加えるに従って生活という現実がのしかかって来ます。
でも、愛の意味を深く理解出来るようになって来て、本当の思いやりを持てるようになります。
生活と愛情が無理なく重なるという事でしょうか。

若い時は自我の欲に大きく影響されるせいでしょうか、愛から得られる快楽ばかりに目が行きがちです。
理性が躊躇させても愛を深く感じたなら気持ちは若返って性急に相手を求めてしまうかも知れません。
好きになる気持ちは坂道を転げ落ちる小石と変わらず誰が何と言おうと遮二無二突き進む事になるでしょう。

愛をいつも感じていたい気持ちは年齢に関係ないのです。
心躍らせる素敵な愛に出会いたいと思うものですね。
2011/09/02 (Fri) 01:38 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

プロフィール

きゅうとす

Author:きゅうとす
KIN214
白い律動の魔法使い White Rhythmic Wizard
ドリームスペル「青い共振の嵐」の年 律動の月16日(月)

2007・7より観念浄化を始めました。
生来のマイペースで遅々として進みませんが
自分なりに浄化をしています(笑)
きっとこの先には心軽く楽しい人生があると信じて
います。

2011年TUTAYAコミュが閉鎖されるのに伴いこちらのブログに移行します。
愛、恋愛などをテーマに観念浄化ワークと絡めブログアップします。

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