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愛の伝え方


愛は些細な表現を好みます。ほんの少しの愛を示すのです。ほんのりと愛の色味が付いているかどうか判らないくらいなのです。
だから、気づきにくいのです。見過ごされてしまい易いのです。
だから、安心するのです。ここにも愛が潜んでいたと判るからです。

これが愛だ!これでどうだ!という表現はしない方がいいのです。
ハグをするのは愛の表現の一つです。相手をおし包むような大きな愛の表現です。大きな愛の表現であっても激しくはありません。

大袈裟なパフォーマンスをする事が愛を表現することになりません。反って空疎でスカスカな中身の無さを露呈してしまいます。

心に安らぎを感じる時に私たちは愛を感じます。
心が波立つ時には愛は無いのです。
激しさは愛と無縁です。
激しさは心に波を立ててしまうからです。

愛を感じて貰うには押し付けがましい行為は厳禁です。むしろ、控えめにささやかに気持ちを添える細やかな行為こそ必要なのです。
相手が気づかない事もあるかも知れません。表だって判らなくても、気がつかない内に愛は相手の心の奥深くに積もり積もるます。
そして、ついには気づく時が来るのです。

拙速に愛を伝えたいと思い、やたらと目立つ行為で愛を伝える事は愛を相手に伝える事が出来ません。
相手も自分に好意を持っていてくれれば、伝わった気持ちになります。相手もそうなりますが、醒めて行くのも早いでしょう。真正の愛が伝わっていないからです。

心の内に愛を伝え、愛に気づいて貰えた時に、愛が心に華開くのです。
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2011/08/31 (Wed) 07:03 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

要らない愛を超えて


人は世代を超えて伝え続けて来たものがあります。それは誤って伝えて来た愛です。

恐れから来る愛は怯えた愛になりました。
堪えず愛する想い人を疑い確かめずにはいられない愛です。
悲しみから来る愛は辛い愛になりました。
耐え忍びひたすら献身し続けて尚、献身を要求される愛です。
苛立ちから来る愛は暗い愛になりました。
心に鬱積し、決して満足を得られない底無しの愛です。

父から受けた要らない愛は父に返しましょう。受け継ぐ必要はありませんでした。
母から与えられた要らない愛は母に返しましょう。引き受ける必要はありませんでした。

何も言えず何も逆らえず逃げる事さえ敵わなかった幼き頃は全てが愛だと信じていました。全てが熱い愛故の表現だと受け入れていました。
父と母の真実を知り、要らない愛を知ったからには、自分にとって要らない愛はお返しします。
そして新しく喜びに満ちた暖かい愛を我が子に与えます。
我が身を愛おしく思える愛を与えます。
今いる世界が最高だと思える愛を与えます。

世代を超えて伝える価値のある愛を与え続けます。他人の願いが自分の願い、他人の喜びが自分の喜び、惜しみない愛を与える事が愛だと当たり前に出来る世界を与えます。
2011/08/29 (Mon) 07:13 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛の与えてくれるもの


人が愛を求めるのは愛が与えてくれるものがあるからです。
温もり
勇気
安らぎ
元気
笑い
安心
強さ
・・・更に、自分の存在を丸ごと包み込む幸せ感。

異性との愛は自分の愛を強くしてくれます。
我が子への愛は自分の愛の確かさを感じさせてくれます。

愛を与えて何も心が帰って来ないなら・・・相手はあなたを残念ながら愛していないのです。
愛を与えて"優しさ"が反って来たなら・・・相手はあなたを"優しく"愛しています。
愛を与えて"労り"が反って来たなら・・・相手はあなたを"労り"を持って愛しています。
愛を与えて"親切"が反って来たなら・・・相手はあなたを"親切"に愛しています。

あなたが"愛"として与えるものがあなたの受け取る"愛"なのです。
2011/08/27 (Sat) 20:24 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

見守る愛


親ならば愛情があるはずだという常識は最早通用しない時代のようである。
母親が実の我が子に危害を加えられても平気でいる、あまっさえ、自分も暴行を加える・・・地獄の悪鬼さながらである。

愛情は親が手を掛けて育てるから生まれるらしい。
母親が赤ちゃんを産んで愛おしく思うのはお腹の中で長い間育てるからだという。苦しく辛い思いをしても赤ちゃんが大きく育つのが判り、お腹を蹴って元気なのが判るから愛情が育つらしいのです。

赤ちゃんには愛情が判別出来ません。
しっかり世話をして貰い、たっぷり面倒をみて貰っても愛情を受けていると思います。いい加減に適当にされ、虐待を受けて育っても愛情を受けていると思うのです。
赤ちゃんの時の愛情を愛情と思い込み、大人になって自分の子供に愛情を掛ける時に赤ちゃんの時の愛情を掛けるから、虐待で育つと赤ちゃんを虐待してしまうのです。
これを刷り込み現象と言います。アヒルなどの鳥類で良く見られる現象であり、人間にも適用されるのです。

"子供には先を歩かせ、危険が無いように後ろから見守る"ようにきゅうとすの子供達は育てました。行くべき方向は指示するけれど歩くペースや自主性は本人任せです。家族で歩く時はこの歩き方が今でも続いています。
きゅうとす家の子供達への愛情は"見守る愛"なのです。

きっと子供達もこの愛情を心に刻み、自分達の子供にも"見守る愛"をかけてくれると思います。
2011/08/25 (Thu) 00:56 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛の視線


人を見詰める時どんな風に見詰めますか。
何も考えないで見詰めますか。
自分の想いを込めて見詰めますか。

誰かの視線を感じる時、視線に含まれた意図を感じることが出来るでしょうか。
言葉にしなくても伝わる想いは視線、目に顕れるものです。

視線を感じられる人と感じられない人がいますがこれはどんな違いがあるのでしょうか。

想念というものが波動として発せられてその波長をキャッチ出来るかどうかが分かれ目です。近親者なら波動が近いものがあり、微弱であっても感じることが出来ます。恋人同士なら気にかける事で波長が近づき感得できるという事になります。

全くの他人からの視線を感じるというのは相手の想念が余程強いか、こちらが敏感になっている場合でしょう。
愛についての想念は普通の念より数倍強く、場合に拠っては念体を生み出す事もあるようです。

視線に敏感な人は自意識過剰と思われますが、鈍感なのよりましでしょう。
特に愛の視線には敏感であっても良いのでは無いでしょうか。
2011/08/23 (Tue) 12:26 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛と願い


あなたの願いは何ですか?

求める願いは叶うでしょうか。叶える為の努力を何かしていますか。

人の為になる願いでしょうか。
自分の為の願いでしょうか。

願いに愛は含まれていますか?
愛の無い願いは人を傷つけます。
愛のある願いは人を満たします。

願い事が何であろうと愛を篭めて願う事が叶う秘訣です。

"愛おしい人の幸せを願う"時、愛に自分が満ちている事に気付いていますか。
"我が子の健やかな成長"を願う時、愛に自分が満ちている事に気付いていますか。
"沢山の人の幸せをもたらす事業を願う"時、愛に自分が満ちている事に気付いていますか。
"世界平和を願う"時、愛に自分が満ちている事に気付いていますか。

"憎いライバルの不幸を願う"時、自分に不幸が満ちている事に気付いていますか。
"戦争反対を叫ぶ"時、自分に戦争の意識が満ちている事に気付いていますか。
"莫大な利益を得られそうな事業を願う"時、自分の利益の事ばかり意識している事に気付いていますか。
願いに愛が無ければ、願いに意識を囚われて願いを叶えるエネルギーを集める事は出来ません。
願いに愛があれば、愛のネットワークが働いて願いを叶えるエネルギーを集める事が出来るのです。


願い事を叶えるには強く愛を篭めて願う事が叶う秘訣です。
2011/08/21 (Sun) 12:14 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛に報いる為に


愛されること程幸せな事は無い。
生かされる幸せに愛を感じる事よりも大事にされて受け入れて貰える事の方がより幸せを感じられる事はどうしたことか。
生まれて生きて行くには自我が無いと自分に都合良く生きられない。自我の目的のひとつが"自我の拡大"である。
自我は自己中心的な考えをベースに考えるので"生かされている"という考えは持ち得ない。
自我は自我を肯定されると幸せを感じられるのだ。

自我の拡大は他者の自我の拡大と衝突する。より強い自我が勝つ。負けた自我は負けない方法を考えず、拡大が負けを呼び寄せた事を注視し、拡大でなく協調することで自我の衝突を避けるようになる。頭で考える愛の始まりである。
自我は愛が天敵であることを知る。だから愛が蔓延(はびこ)り始めると身を潜め、コンパクトになってやり過ごそうとする。それでも侵食されるとまがい物の愛を被って愛に隠れてでも生き残ろうとする。
自我の最小形状は自己の肉体の維持である。俗に言う本能というものである。本能がなければ肉体が滅んでしまうという恐怖を隠れみのにしているのだ。
実は本能というものはなく肉体の反射という作用の集合なのだ。

自我は消えない、消えたがらない。消そうとすればするだけ抵抗する。
自我はその根本が幻である。だから幻でなく、実体として存在を肯定されたがっている。だから"生かされる幸せに愛を感じる事よりも大事にされて受け入れて貰える事の方がより幸せを感じられる"のは自我が幸せを感じているからなのだ。

愛に報いる為には愛を感じてあげること。自我には出来ないことである。だから自我でなく自我の消失ポイントから顕れる"わたし"で感じてあげることである。
2011/08/19 (Fri) 06:47 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

棄てられる愛


離婚する人達が増えて居ます。
価値観の相違が主な理由だそうですが、ありふれたこの理由の裏に"愛を知らない"という事が隠れているのです。

価値観の異なる二人が愛を頼りに生活をするときに壁となるのが価値観の違いというものです。
価値観が似ていると言っても、全ての価値観が似ている訳でなく相反する場合する所さえあるものです。
価値観はすり合わせて新しい価値を生み出して行くか、片方が妥協して一つの価値観を持ち合う事が必要なのです。それが結婚というものです。

愛という価値観も異なっています。
ただ好きだから一緒になるとか傍で暮らしたい気持ちが強いから結婚するのでは破綻は目に見えています。
スランプなどの時に応援して励ましてくれて、支えてくれたから好きになって結婚する芸能人のカップルが離婚するのは正に愛を知らない故です。

愛は結婚に対して万能ではありません。愛さえあれば二人で乗り越えられるものですが、二人の見ているもの、それぞれが価値を置いているものが異なるから相手を信じ、愛していても結婚生活を続けるのは難しくなって行くでしょう。

結婚には愛の別の側面、愛の責任があるのです。
愛の責任とは、男に取って愛した女性の全てを請け負い、守る。そのためには自分の信念さえ捨てる覚悟です。
愛の責任とは、女に取って愛した男性に尽くし、見守る。そのためには自分の望まない結果さえ受け入れる覚悟です。

昔は結婚とは家と家の契約でもあったので離婚の壁となって離婚し難かったのですが、今は気楽に二人の問題として愛の責任がなおざりにされているから、愛の責任を簡単に棄て、離婚するのです。
2011/08/16 (Tue) 06:28 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

"わがまま"は愛ですか?


我が儘を言うことは相手にとって迷惑であることは判っている筈です。
でも、全てが全部では無い事も判るでしょうか。

素直で従順、異論反論、口答えをしない事が愛でしょうか。
あなたがあなたであるように、愛が愛する人に向かっている限り、我が儘や異論反論口答えもあなたの一部です。

人は画一的な性格をしているものではありません。その日その時で様々な面を見せるものです。
狭量な時もあれば、鷹揚な時もあり、せせこましい時もあれば、のんびりと構えている時もある訳です。
愛も生き物のように脈動しているから強まる時もあれば弱まる時もあります。
自分の相手への愛という信頼に揺らぐ時もあれば、心細さに心配りという愛情を欲しいと望む時もあります。
自分への相手の愛の深さを確かめたくて、弱々しく見せたり、強がって見せたりするのは人として仕方の無い事でしょう。

愛が自分に弱くて甘えになって"わがまま"を言っても愛を叶える強ささえあれば良いはずです。

愛が自分に足りなくて不信となって"我が儘"を聴いてあげても、支える喜びさえあれば良いはずです。

"わがまま"を言うことは愛でないといえますか。
2011/08/14 (Sun) 20:28 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛も夢も


愛も幻、夢も幻です。

全て脳が生み出した幻想です。その証拠に人によって全て違います。
共通点を見出だす行為は証明にならず返って不自然です。

幻という事は実体がないという事です。
愛が幻という事は愛が移ろい行き、陽炎のように形を変えてしまうものという事です。
夢が幻という事は夢が変わってしまい、湯気のように触る事が出来ないものだという事です。

幻という事は留まり変わらない形がないけれど、見たり感じたりすることはできるという事です。
物質的には実体がないけれど、五感にとっては実体を持つという事です。
人の肉体に於ける五感では実体を得られず、精神が感応する五感なら幻を捕まえられるのです。
詰まり精神と同じレベルで愛や夢が存在、実体化するという事です。

逆説的に言えば
精神も幻
という事です。

愛は幻
夢は幻
精神も幻・・・
人の存在も幻・・・
2011/08/12 (Fri) 01:12 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛と自我と


愛は生来のもので誰もが持っているものと誤解されていますがそれは人の考える愛のことです。

人間は動物というテンプレートの上に人間という枠組みを持って自我を発達させて来たのです。
自我の発達により人間社会というものが構築され、社会生活を行う為に協調性や人の考える愛というものが生み出されて来ました。

普遍的で真の"愛"は人を生かす宇宙エネルギーで常に生き物全てに与えられていますが、人の考える愛は観念ルールでしかありません。
ハートでしか感じられない"愛"を心(=自我)で解釈した概念が人の考える愛なのです。
だから、人の考える愛とは脳が生み出した心(=自我)に生じる二次概念なのです。
詰まり、自我が人の考える愛を生み出しているのです。
だから、人は人の考える愛に苦しめるのです。
愛で苦しむ生き物は人間以外にいません。

人を生かす宇宙エネルギーたる"愛"は全肯定のエネルギーですから人を苦しめる事は有り得ないのです。
2011/08/10 (Wed) 01:11 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛を恋を


愛を知っていますか。あなたの知っている愛は誰もが知っている愛でしょうか。
恋を知っていますか。あなたの知っている恋は誰もが経験している恋でしょうか。

恋は恋。愛にはなれません。沢山恋をしても愛を知る事は出来ません。
色々な相手との色々な恋はあなたの人生の経験になりますが、愛を知る助けにはなりません。
それは恋があなたの自我の欲望の花でしかないからです。

愛は恋にとって高嶺の花です。見えているにも関わらず真似ても真似し切れず、愛の仲間のふりをするのが精一杯なのです。

愛は制限のない自由を相手に与えますが、恋は際限のない自由を奪います。自分だけを見詰めて欲しいと要求するのです。
愛は上昇し昇華する喜びを自分に与えますが、恋は降下し自己満足の喜びを自分に与えます。
愛は誰にでも分け与えたい気持ちにしますが、恋は誰にも与えたい気持ちにならず自分だけのものにして置きたくなります。
愛は世界の中心から世界を見た普遍のエネルギーです。恋は世界の中心から見た世界の自己フィールドのエネルギーです。
愛は世界にネットワークを作り出すエネルギーですが、恋は二人だけの結び付きを強化するエネルギーです。

愛は、恋は、こんなにも異なるのですね。
2011/08/08 (Mon) 07:15 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛の役割


愛って何の役に立つのでしょうか。

愛は人と人をハートで繋ぎます。
繋がれた愛のネットワークを愛のエネルギーが流れます。
誰かが誰かを愛すると愛のエネルギーが伝わるのです。

人は人の中で愛のエネルギーを感じ、愛を増幅し、愛の中に意志を感じるのです。
大切に想っている意志、切ないくらい切望する意志、見つめ合う熱視線を求める意志を感じるのです。

自分が誰かに愛されていると感じた時愛はその人の生きる力になります、喜びになります、輝きになります。

愛の役割は人生の力となることなのでしょう。
2011/08/06 (Sat) 11:33 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛はメッセージ


愛はあなたの存在を証明するメッセージです。

もちろん、あなたの気持ちを伝える事も大事な事です。
でもそれ以上にあなたが愛を以って相手を認めた証拠なのです。
それが取りも直さず、あなたの存在証明となるのです。

あなたは何を証拠にそこに存在しているのでしょう。
自分はここに居ると大声で叫んだとしても、無人ならばあなたがあなたを認識するだけで証拠にはなりません。
誰もあなたとコミュニケートしなければあなたの存在は無いのと変わりません。
敵意を以ってあなたとコミュニケートしたならば相手はあなたを敵と認識して対応するでしょう。
好意を以ってあなたとコミュニケートしたならば相手はあなたを仲間と認識して対応するでしょう。

コミュニケートすることによりその存在を証明することになるのです。

愛は輝かしいエネルギーです。
誰も無視することは適いません。
愛の力が強ければ強いほどあなたの存在は確固たるものになるでしょう。

だから、愛はあなたの存在を証明するメッセージです。
2011/08/04 (Thu) 07:13 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

愛のコレクション


愛には沢山の表現がありますが人それぞれ異なると言って良いでしょう。
基本は
優しさ
思いやり
労りですね。

個性がその表現を変えて行きます。

愛を求める人は愛をコレクションしがちです。
この人の愛はこんな愛だ、こちらの人の愛はこういう愛だとレッテルを付けていろいろ愛されたがるのです。
愛は個性で様々な表現されます。その時の感情にも左右されます。あの人の愛はこういうものだと決め付けたくても決めようがありません。
優しい人がずっと優しいわけでもなく、感情的な人がいつも怒っている訳では無いのです。

愛は表現を様々に変える宝石のように一人の人からいろんな愛を見せてくれます。愛を決め付けてコレクションするのは得てして意味が無かったりします。

人にレッテルを貼って愛を決め付け、愛をコレクションするのは止めましょう。
2011/08/02 (Tue) 07:56 |恋愛および愛 |トラックバック(0) |コメント(0)

プロフィール

きゅうとす

Author:きゅうとす
KIN214
白い律動の魔法使い White Rhythmic Wizard
ドリームスペル「青い共振の嵐」の年 律動の月16日(月)

2007・7より観念浄化を始めました。
生来のマイペースで遅々として進みませんが
自分なりに浄化をしています(笑)
きっとこの先には心軽く楽しい人生があると信じて
います。

2011年TUTAYAコミュが閉鎖されるのに伴いこちらのブログに移行します。
愛、恋愛などをテーマに観念浄化ワークと絡めブログアップします。

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